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消えてく命、生まれてくる命

18日


救急患者を受け入れている病院へ。


とにかくここの病院のドクター、ナース、薬剤師、放射線技師、検査技師、栄養士、看護助手・・・
全て震災後から不眠不休。家族や休みだったスタッフの安否さえ分からないまま、
極限の精神状態で仕事をしていたらしいです。



少しでも交代で休んでもらうようにサポートに入ることに。



地域や物品の場所は全く違っても、医療は共通。
そう思いながらも、続々搬送されてくる救急車と
受診を求めて並んでいる1000人以上の患者さんを目の当たりにして正直途方に暮れましたが
目的の「1人でも多くのかたに医療と看護を」のために気持ちを切り替えました。


救急搬送のほうのグループになり
搬送されてくる患者さんも
心筋梗塞や脳梗塞の薬を飲めていないから
再梗塞を起こしていたり
透析患者さんが透析を出来なくてカリウムの数値が上がっていたり心不全を起こしていたり
医療機材が足りていない中、現状は相当厳しかったです。

地震によるケガは免れ生き抜いたのに、地震後に病気で亡くなってしまう方の無念さと
私達医療スタッフの絶望感は文章にはあらわせないです。


東京の病院では手を伸ばせば点滴台、棚をあければ薬品etc
そして当たり前についている電気


自家発電とはいえ、バッテリーと時間との勝負で
手術が必要な患者さんはヘリで他県へ搬送の繰り返し。


採血をすると真っ黒でどろどろした血液がひけて

「お食事したりお水飲めていますか?」と聞くと

「私だけそんな飲み食い出来ないし、おにぎりと朝夕のお茶だけだよ」と力なく答える患者さん達。


点滴も足りなかった・・・


受診する患者さんをどんどん固い床に寝かせ点滴をして
様子を見て
点滴を抜いて止血して
誰が何の点滴をしてどのペースで終わるか把握するだけでも精一杯



そうこうしてるうちに救急車の受け入れ




そういえば今日もあんまり笑顔を見せてないなって時に
妊婦さんが産気づいたとの連絡。



私と同じ年くらいの初産の妊婦さん。


助産師の免許はないから
点滴の確保とベビーキャッチにまわりました。



点滴を入れていると
「重症のかたがたくさんいるこんな時に本当にすみません」と。



「何をおっしゃいますか!!
高田のみんなや全国のみんなが赤ちゃんを待ってますよ!!」と声をかけました。
赤ちゃんは明日への希望です。




元気な赤ちゃんが生まれたときは、薄暗い分娩室が
本当に明るくなったように思います。

お湯も思うように沸かせないからガスコンロであたためた湯を準備したり
支援物資で届いたアンパンマンのバスタオルに包んで。


涙を流してるお母さんが

「もうちょっと早く生まれてきてくれたらおじいちゃんとおばあちゃんに見せられたのに。
とても楽しみにしていたのに。」と言っていました。


でもこんなにスムーズに
元気な赤ちゃんが誕生したことはきっとそばで見守ってくれていたに違いないと思いました。


眉間にシワを寄せてピリピリしていた救急チームも産声に駆けつけ
一気に笑顔の空間に。



これから大変なことがたくさん待ってるけど、
絶対それ以上に嬉しいこと、幸せなこと、楽しいことだって待っています。


この赤ちゃんが大人になる頃は元の高田市に戻って笑顔が溢れる穏やかな街並みになっていることを
その場にいたみんなが願いました。



ラジオからはひっきりなしに聞こえてくるどんどん増えていく死亡者数。


こうやって生まれてくる新しい命。


どちらも尊いものです。
命の重さもみんな同じ。



改めてそう思いました。



明日も笑顔で今日よりいいことを見つけよう。


http://blog.goo.ne.jp/flower-wing/e/a17a45aaaf603af5be0cd1fbb9942453


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テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~
ジャンル: その他

tag: 病院 妊婦 赤ちゃん ブログ

そこで目にしたものは女川の町が全て真っ黒な波の下になってしまった光景だった。

女川で東日本大震災にあってもう55日もたったというのに、まだあの日のままで時が止まってしまっている。
会社も愛車MPVも失ってしまった。
しかし家族と家が無事だったのが何よりの救いだ。
3月11日 女川で仕事中に今まで体験したことのないほどの大きな地震にみまわれたその直後、車のラジオから津波警報がながれ7メートルの津波が来ると放送していたが、やがて30メートルの大津波が…と変わった。慌てて乗っていた会社の車で20メートルくらいの高台に建つ女川病院へと上り病院の駐車場から海をみていたがあまり変化は感じられなかった。デマだったのかと思い始めたとき観光桟橋付近の海底が見え遠目でわからなかったが相当潮が引いていたのに気付いた。もうすぐ津波がくるとわかった。
地震から30分くらい経っていたと思う。初めはゆっくり海面が上昇してきたがみるみる勢いと高さを増して近づいてきた。

津波は私の避難している病院の真下まで到達した。目の前を家や車がまるで木の葉のように流されていく。人が乗ったままの車や屋根に人を乗せたまま流されていく家を目の当たりにしながら何も出来ない自分の無力さを感じた。「病院の2階へ避難してください」という声がした。病院は20メートル位の高台にあるので、まさかここまではこないだろうと思いつつ病院の中へ2階への階段の所で看護婦さん達が車椅子や寝たきりの患者を運び上げようとしていた。
私もそこで一緒に患者さん達を階上へ上げる手伝いをした。皆避難し終わったと思った途端「津波が来たー階段の扉をしめろ」という声がした。一番下にいた私は一階の廊下に誰もいないのを確認し扉を閉めた。間もなく扉の隙間から水か浸入し2階の途中まできてしまった。
3階は避難してきた人4階は体の不自由な人に分けられていたが私は外の様子が気になり2階の外が良く見える所へ移動した。
そこで目にしたものは女川の町が全て真っ黒な波の下になってしまった光景だった。
 津波の警報の後、私は家族の安否がずっと気がかりだった。地震の後すぐに携帯電話が繋がらなくなり少しの間メールだけできたので家族に『大丈夫か大津波がくるからにげろ』とメールを送ったら妻からは『大丈夫』というメール娘からは『工業高校へ逃げた』息子から『今イオンの外どこへ逃げたらいいの?』
妻・娘はともかく息子のメールにあせった。急いで『イオンの屋上』と送ったがすぐに繋がらなくなった。無事逃げられたか?とても心配だ。

病院は非常発電のおかげか電気は点灯していた。やがて津波が引き始めた。ビルの屋上に何人か人影が確認できたが次の津波の後もう姿は見えなかった。私は階段のところへ向かった。階段の所では看護婦さん達が膝まで水につかりながら一階から薬や器具などを運んでいた。『男の人は手を貸してください』という呼びかけに私を含め何人もの人が手渡しで運搬を手伝った。かなりの医療品を運び上げ次にペットボトルの水や売店にあった缶ジュースや濡れても大丈夫そうな袋や缶に入っている菓子類やおむつなどを上の階へ手渡した。そうしている間にも何人もの人が避難してきた。津波にのまれながらもなんとか助かった人たちだろう。ズブ濡れの人や怪我をしてささえられてやっと階段の所まで来た人など、皆九死に一生を得てたどりついた人達だ。その日病院で支給されたのは缶ジュースと飴玉ひとつ病院の毛布だったが膝まで濡れた私には毛布がとても有難かった。濡れた靴やズボンから泥と重油と海水の混じりあった悪臭がしていた。私は疲れて階段脇のフロアに腰をおろした。

女川病院の医師や看護婦達スタッフはとてもよく働いていた。自分達も家族や家の安否がとても心配だろう。勤務時間もとっくに過ぎてきっと相当疲れているはずなのにそんな様子を少しも見せずに入院患者や避難している人みんなに目を配り懸命に働いていた。感謝で頭の下がる思いだ。やがて外が真っ暗になり外の様子がみえなくなったが、また津波が襲ってくるかもしれない恐怖と何度も襲ってくる強い余震に生きた心地がしなかった。どこかで車のクラクションが鳴り続けていた。
 やがて追い打ちをかけるように雪が降り出し冷え込みも強くなった。
濡れた体で外にいて夜を過ごしている人たちを思うと言い表せない思いが込み上げてきた。
夜が明け外の様子が見えてきて愕然とした。女川の町全体がなくなってしまったように見えた。見渡すかぎり瓦礫の山だ。しばらく茫然としてから自分の乗ってきた会社の車を捜してみたがどこにもなかった。

情報が全く入ってこなかったので家や家族がどうなっているのか心配だった。とにかく一度会社にいってみようとまだ凍っている瓦礫の上をあるきだした。滑ってとても歩きにくく四つん這いになり凍ったトタンをこえて今にも崩れそうな建物の残骸の脇を抜けて女川駅のあった付近までたどり着いた時にまた津波が押し寄せてきたのが見えた。私は慌てて近くにいた人に声をかけ崖によじ登った。前ほど大きな波ではなかったが崖にのぼってなかったら膝上まではきただろう。会社へ戻るのをあきらめて歩いて家を目指した。病院のほうへ戻り熊野神社から山道を通り瓦礫の上を歩いて女川バイパスを通ってあさひが丘へ着いた。以前の同寮があさひが丘に住んでいたので立ち寄ったところ『よく訪ねてきてくれた』と水も食料も貴重ななか部屋を暖め「つゆ餅」作ってくれた。靴もズボンもズブ濡れだったので貸してもらい帰り際には『この先 (帰りつくまで)どうなるかわからないから』と一万円貸してくれて『帰るのが無理な様なら家へ戻ってこい』といってくれた。。浦宿へ着いたが浦宿の駅前付近がまだ浸水していたため線路を歩いて折立の万生園のところまでたどり着いた。途中で石巻方面へ向かっている人たちと出会い同行できたので心強かった。
その中の一人の女性は銀行員で何度も波に呑まれ流されたが運よく助かって石巻へ帰る途中と言っていた。折立のファミリーマートの前も浸水していたので少し迂回して万生園の前までたどり着いた。そこで私達一行は石巻方面へ戻る宅急便の荷台に乗せてもらい開北橋の付近まで来ることができた。女川から一緒に来た人達と別れ少し歩いた所で、前を二人で歩いていた人に追いつき女川で津波に遭い飯野川まで帰りたいが途中で飯野川橋が落ちたという噂を聞いたけど向こうはどうなっているか尋ねたところ『自分達はすぐ近くの福山運送の社員で飯野川橋はもとより飯野川の町は無事だからうちの会社で休んでいがいん。後から車で送ってやっから』と言われ南境開成の福山運送石巻支店で缶コーヒーとカップラーメンをご馳走になりビックバンの前まで送ってもらった。女川から家に着くまでにとても他人の親切が身にしみた。他人の温かさ親切のありがたさを感じた。自分自身も今後もっと他人を思いやり今回助けていただいた人々のような心を持ち続けなくてはと思った。
帰路をともにした連中と『女川にいたから俺達もう死んでると思われてるよな』と話していたのですごく驚くだろうと玄関を開け『ただいまー』と言うと『おかえりー』といつもの息子の声あれほど心配していたのに予想外の軽い挨拶に少し拍子抜けした。
後で女房が『オヤジはぜったい死んでない』と言っていたと話してくれて息子も頼りになるようになったものだと少し感心した。

http://blogs.yahoo.co.jp/jngfn283/3795447.html
http://blogs.yahoo.co.jp/jngfn283/3902554.html
http://blogs.yahoo.co.jp/jngfn283/3963737.html
http://blogs.yahoo.co.jp/jngfn283/4304517.html
http://blogs.yahoo.co.jp/jngfn283/4893462.html


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tag: 津波 生還 病院 救助 ブログ

証言/75人死亡・不明 公立志津川病院/動けぬ患者、迫り来る水

 海からの距離わずか400メートルの平地に立つ宮城県南三陸町の公立志津川病院。東日本大震災で入院患者107人のうち72人が死亡・行方不明となり、院内では看護師と看護助手計3人も波にのまれた。病院は東棟(4階)と西棟(5階)の2棟。津波は4階まで達した。入院患者の多くが自力歩行困難な65歳以上の高齢者だった。(吉田尚史)

◎「上がれ上がれ」。シーツに包み、階段駆け上がる

<誘導>
 午後2時46分。強烈な横揺れに体を支えきれず、廊下の手すりをつかんだ。
 東棟4階の看護師千葉志帆さん(34)は揺れを感じ、入院患者の安否確認に向かうため、ナースステーションを出たところだった。
 「患者の上に物が落ちてこないよう中央にベッドを集めて。大部屋には1人ずついるように」。上司の指示で、看護師が手分けして病室を回る。
 「ベッドを動かしますね。大丈夫ですよ」。千葉さんは402号室の患者に声を掛けた。
 同じ東棟の2階では、看護部長星愛子さん(55)が看護部長室向かいの総務課に駆け込んだ。「対策本部は5階でいいんですね」。入院患者一覧と看護師のデータが入ったパソコンをバッグに詰め、最上階の西棟5階の会議室へ。黒板に患者の安否情報を書き込む準備を始めた。
 「高さ6メートル」という大津波警報にざわつくフロア。近隣住民が次々に建物に駆け込んでくる。「すみません、患者さんを先に上げます」。男性スタッフは叫び、入院患者を上階へと誘導した。

<混雑>
 入院患者がいるのは東西両病棟の3、4階で、両棟は5階を除く各階が渡り廊下で結ばれていた。「津波想定時には3階以上に避難」という院内ルールだったが、医療スタッフそれぞれの判断で上階への搬送を開始した。
 入院患者のほとんどが65歳以上の高齢者で、寝たきり状態。数人で患者をシーツに載せたり、車いすに乗せたり。患者を運び上げるのには労力と時間を要した。
 「周りにいる患者さんをそれぞれが運んだ。いつ津波が来るのか分からない。優先順位を考える余裕はなかった」。内科医菅野武さん(31)が振り返る。
 「早く上がってください、早く」。東棟1階では、職員が次々に駆け込んでくる住民への対応に追われた。エレベーターは停電で動かない。
 事務職員後藤正博さん(48)が脳裏に焼き付く記憶をたどる。「高齢者は階段を上がるにも足がついていかない。懸命に尻を押し、引きずり上げた」。逃げ込んだ住民ら約120人の誘導と入院患者の搬送が重なり、階段は混雑を極めた。

<濁流>
 防潮堤を超えた波が迫ったのは午後3時半ごろ。1、2階の避難完了を確認した総務課長最知明広さん(51)は、窓の外に土煙を見て駆け上がった。ごった返す西棟3階エレベーターホールに走り込み、階段の最後尾からせき立てた。「上がれ! 上がれ!」
 東棟4階で女性の叫び声が響いた。「家が流されてる、もう駄目」。その絶叫を聞いたのは、4階で病室を回っていた看護師千葉さんだ。千葉さんが外を見ると、濁流は目の前のショッピングセンター手前まで来ていた。
 千葉さんは叫び声がした405号室に飛び込み、とっさにそばにあった車いすに患者を乗せ、無我夢中で5階へ急いだ。「早く逃げなきゃ」
 避難者をせき立て続けた後藤さんも、生死の瀬戸際に立っていた。せり上がる波は、屋上へと向かう東棟4階の階段までに達した。逃げても逃げても、水が追ってくる。屋上に出ると、4階から駆け上がってきた看護師の足元がぬれていた。
 病院スタッフの懸命の避難誘導にもかかわらず、病室には多くの患者が残されていた。

◎スタッフ、死も覚悟/身元用、腕に自分の名

 宮城県南三陸町の公立志津川病院は、津波に襲われながら、入院患者42人を避難させる。死も覚悟したスタッフたちは、第1波が引いた後にも壮絶な救出劇を繰り広げていた。

 東棟4階408号室。病室の扉が開くと、廊下から水がザーッと流れ込んできた。自力歩行も困難な入院患者西城俊彦さん(69)は必死に扉に手を掛けていた。
 「まずい、これでは看護師さんは来られない」。西城さんはとっさに扉を閉めた。看護師が「今、車いすを持ってきますからね」と言い残して出ていってから、しばらく時間がたっていた。
 徐々に病室の水かさが増す。浮き上がる体と近づく天井。カーテンレールにつかまった。
 津波は、対策本部を置いた西棟最上階の5階会議室の一歩手前まで迫った。死を覚悟した看護師が自分の身元が分かるようにペンで腕に名前を書いた。医師の一人は、普段は治療の支障になると言って外していた結婚指輪を財布から取り出し、自分の指にはめた。
 第1波が引いたのは、波が押し寄せてから約30分後の午後4時ごろ。強烈な引き波が、さらに悲劇を招いた。
 運びきれなかった患者が電動ベッドごと海に向かって流される。「見るなーっ」。誰かが叫ぶ。
 「目の前に患者がいるのに何もできない」。内科医菅野武さん(31)は無力感と絶望感を感じていた。
 対策本部で職員の後藤正博さん(48)は、妻の看護師弘美さん(46)がいないことに気付き青ざめる。「うそだべ」
 水位は4階で膝ぐらいまでに下がっていた。「ひろみーっ、ひろみ!」。東棟屋上から4階に下り、妻の姿を必死に探した。妻は見つからない。病室で生きている患者を発見し、「誰か下りてきてくれ」と声を張り上げた。
 内科医の菅野さんも周囲の看護師らに呼び掛けた。「今だったら行ける。患者を見殺しにしたくない」。泥水に漬かりながら、生存者を探しに4階へ下りた。
 「先生、ここにいます!」。看護師が声を上げる。逆さまになったベッド。ばらばらになった医療器具。病室の惨状は津波の脅威を物語っていたが、それでも津波は天井まで達しなかった。うめき声が響く中、患者10人ほどを救い出した。
 「おーい、ここにいるぞ、歩けないんだ」。408号室で助けを求めた西城さんも無事救出された。

◎救った命、失った命…/「すべて受け止めきれぬ」

 避難者と患者、医療スタッフであふれる西棟5階会議室の対策本部。42人の入院患者は段ボールの上に寝かせた。スタッフはぬれた衣服を脱がせ、カーテンや新聞紙でとにかく暖めるが、患者の震えは止まらない。
 「苦しい、寒い。どうにかして」「酸素、酸素…」。外は雪が降る寒さ。患者7人が次々と息を引き取った。医療機器はない。波をかぶった患者は低体温や窒息による低酸素で亡くなったとみられる。菅野さんは「酸素、点滴、電気があれば…」と唇をかむ。
 看護師たちは「頑張りましょうね」と声を掛け、患者のそばに寄り添って暖め続けながら夜明けを待つしかなかった。
 診療エックス線技師らと患者の救助に当たった院長職務代理桜田正寿さん(54)は、津波が引いた後の胸中をこう振り返る。「救った患者がいても、失った患者が数多くいるという現実。安堵(あんど)感なんて、ちっともなかった」。病院内では看護師2人と看護助手1人の行方も分からなくなっていた。
 自衛隊の救助ヘリが屋上に到着したのは翌12日の昼すぎ。患者を石巻赤十字病院に繰り返し搬送したが、すべての患者を運びきれず、残った患者と医療スタッフはさらに一晩を会議室で過ごした。
 最後の患者数人を搬送し終えたのは、3月13日の午前中。患者とともにヘリに乗り込んだ菅野さんは病院を眼下に見た時、こみ上げる感情とともに涙が流れた。
 「患者を運び終えたということ、そして自分が生きていること、今まであった街が打ち砕かれてなくなっていること。すべてが入り交じり、すべてを受け止めきれない奇妙な感情だった」


2011年06月07日火曜日
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