地域
キーワード

津波 生還 スクラップ 犠牲 ブログ レポート 河北新報 救助  子供 高齢者 避難所 地震 毎日 2ch 幼稚園・保育園 産経 読売 親子 朝日 避難 海上 赤ちゃん 公務 学校 3.11の夜 遺体 対策 住宅 病院 現代ビジネス スポニチ 2ch 家の中 遺族 妊婦 孤立 老人ホーム 原発 小学校 建物内 個人サイト 希望 mixi 行政 日経 神戸新聞 被災 生活 新潟 掲示板 訓練 救出 三重 東京新聞 遺児・孤児 町長 買占め メルマガ JCAST 外国人 非難 女性セブン 物流 市長 ニューヨークタイムス 遺体収容 帰宅 ニュースリリース 日高新報 ロサンゼルスタイムス てんでんこ 消防団 桐生タイムス 宮崎 義援金 夫婦 先生 保育所 バス 中日新聞 警察官 漁師 陸前高田 共同通信 家族 記者 再建 写真 怪我 日向灘 検視 復興 知恵袋 

月別アーカイブ
リンク
DVD

東日本大震災 岩手 [DVD]

新品価格
¥1,486から
(2011/7/19 09:00時点)

東日本大震災 宮城 [DVD]

新品価格
¥1,190から
(2011/7/19 09:05時点)

岩手日報社 特別報道写真集 平成の三陸大津波 東日本大震災 岩手の記録

中古価格
¥1,229から
(2011/7/19 09:10時点)

3.11 東日本大震災の真実 ~未曾有の災害に立ち向かった自衛官「戦い」の現場~ [DVD]

新品価格
¥2,953から
(2011/7/19 09:48時点)

震災の記録 1 [DVD]

新品価格
¥3,980から
(2011/7/19 09:55時点)

雑誌など

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

昼ごろに初めての配給があり、お椀に半分のスープを食べることが出来ました。

女川の津波にあった方の体験談を紹介したいと思います。
彼女は地震直後、女川一中に逃げ込み、まさに九死に一生を得ました。
彼女の見た世界とは・・・。この文章を読んだとき、涙が止まりませんでした。
自分が通った中学校から見た景色が地獄絵だなんて想像がつきません。
辛いけど、生の声を聞いて、この津波と正面から向き合う事も必要だと思いました。
そして、私たちは津波の恐ろしさ、家族の大事さを伝えていかなければならないと思うんです。
忘れて欲しくないので、ここに転載させていただきます。
深呼吸をして、ゆっくり、読んでください。

------------------------------------------------------------------------------
『3月11日、女川町 』 松川真子(19)mixiネーム:海がみたい さんより
------------------------------------------------------------------------------


私は女川町から 石巻市、涌谷町、美里町を通って仙台市まで避難してきました。

私一人の情報なので量は少ないですが、全て報告したいと思います。

まず先に・・・
女川は、石浜、宮ヶ崎、大原、清水、鷲神は全壊と考えていいと思います。
旭ヶ丘は津波の被害はありません。


私は女川で地震にあいました。
地震後すぐに警報がなり、慌てて車で第一中学校まで祖母と避難しました。
その時点での大津波警報では、津波は3mということでした。
警報から15〜20分後、海面が上昇し始め、海岸から徐々に水が広がっていき、最終的には鉄砲水のような勢いで津波が押し寄せてきました。
バキバキという音と爆発音がなり続け、海水が女川町全体で渦を巻いていました。家も駅も生涯教育センターも、全部水の中で、姿もみえなくて、幼稚園があったはずの方向には海岸から流されてきた船があって、家がそのまま水に流されて浮いてた。みんな渦の中。津波は中学校の海側の坂の半分くらいまできていて、避難してそれを見つめていた人たちの肩には雪が積もってきていました。

ラジオなどでは10m程度などといっていますが、
実際にきた津波は30mちかくあったのではないかと思います。


津波は清水の奥まで届いており、本当に見える場所すべてがのみ込まれていました。高台にある町立病院の1階まで水が押し寄せて、駐車場にあった車は全て巻き込まれていました。
逃げ遅れた方も多かったと思います。家の2階や、奥のほうに住んでいた方などは、安心しきっていたかもしれません。
全てがのみこまれていました。

津波が来ている最中も強い余震が続き、中学校のグラウンドも地割れがおき始めたため、総合体育館まで移動しました。
初めは体育館も窓ガラスが割れるなどの被害があったため閉鎖されており、小学生などは芝生の坂の上にテントをはり避難していました。
雪が強くなっていたので私は車の中で暖をとっていましたが、ガソリンがなくなりかけていたので体育館のほうへ向かいました。
私が向かったときにはすでに開放されており、入り口付近では掃除用具などを入れるロッカーを横に倒しそのなかで体育館にあったプラカードや椅子などを燃やし、火をおこしていました。
ケータイは圏外、電気もガスも水道もとまっていました。
自家発電で多少の明かりはありましたが、薄暗く、窓ガラスも割れているため冷たい風が室内にも吹いて、とても眠れる状況ではなく、毛布を持ち込んでいる人もいれば、私たちのように体ひとつで逃げてきた人たちも大勢いて、寒さでほとんどの人が眠れずにそれぞれが寄り添って被害状況の報告をし合っていました。

両親を探す人。
津波にのみ込まれ、泣く泣く親の手を放した女性。
妻が目の前で流されてしまった男性。
子供を失った人。
人が車ごとのみ込まれていくのを目の前でみてしまった人。
津波がひいた後、家族の死体を見つけた人。

様々な方がいました。
自分のことで精一杯で、目の前の「助けて」の声にも、こたえられないんです。

私も地震直後のまだ電波が届いていたときに母と弟とは連絡が取れていましたが、父とは連絡が取れず不安でたまりませんでした。
1日目は何も食べることが出来ませんでした。
一晩中余震が続いていました。

2日目、早朝に「玄関にお父さんが来ている!」と言われ、駆けつけると顔中傷だらけの父が立っていました。涙があふれました。
津波に遭遇しながらもなんとか逃げ切って隣の小学校で一夜を過ごし、私と祖母のために山を越えて体育館まで来てくれたそうです。

ほかに何人も他の避難所から体育館に次々と移動してきて、体育館は人があふれていました。

昼ごろに初めての配給があり、お椀に半分のスープを食べることが出来ました。具はほとんどありません。

昼間、父と津波が引いた後の町を見に行きました。
更地になっていました。そこら中瓦礫の山です。
自宅も会社もなくなっていました。というか、土台だけです。


アルバムに写真がアップしてあるので、見ていただければと思います。

夜になり、道の側溝の網を焚き火の上にかけて、そこで拾ってきた魚を焼いていました。
子供や老人が優先されていましたが、ほとんど早い者勝ちで、私は最後に運よく食べることが出来ましたが、食べられなかった方もいたと思います。
地震があってから、まともな食料をほとんど口にしていなかったので、本当に夢中で食いつきました。本当に涙が出そうでした。

避難所は悲惨でした。
町の生臭さと、人の息、煤のにおい。
もちろんトイレも仮設のもので、そのちかくで人がひしめき合っているんです。夜は足をのばすことも、寝返りをうつこともできません。家族と連絡が取れていない人がほとんどで、食べ物もなく、みんな苛立って。

女川を一通り歩いてきましたが、本当に酷い。
被害を受けたところは、もう跡形もありません。

その後、私と父はケータイの電波が届く地域まで避難することができ、そこで母たちと連絡を取り合って、祖母も迎えにいき家族5人全員で再会することが出来ました。

今は家族全員、仙台に避難しています。
居場所がある。毛布がある。寝るところがある。
これだけのことがこんなにも幸せなことなんだと実感しています。

仙台に避難してきた日、朝から何も食べておらず、
夜に暖かいお米を食べて、心から幸せだと思えました。

水が飲めるし、お米がたべられる、本当に幸せなことなんです。

しかし、仙台でさえ食べ物が不足しており、街中のひとが食料や水を求めてスーパーやコンビニに列をつくっています。
逃げようにも、ガソリンもありません。
流通も止まっているため、在庫がいつまでもつかも分かりません。

朝から食料集めで走り回っています。
仙台ではまだ電気も復旧せず、断水が続いている地域もありますが、
女川より、余程ましです。
困っているのは同じだし、同じように苦しんでいるのはあたりまえです。
被害の大きさで図るのは嫌だけど、だけどもっと酷い地域がある。

女川だけではありません。
もっと酷い地域があります。

人が沢山死んでいます。

飲み物も、食べ物もなくて、暖をとる手段もない。
助けの届かない孤立した地域です。

家族が誰一人欠けなかったこと、
私たちは本当に運がよかったんだと思います。奇跡です。
いま、暖かい寝場所があります。
食べ物も少量だけど何とか確保できています。

励ましのメールや電話が、本当に嬉しい。
本当に支えになっています。ありがとう。

みんなありがとう、心配してくれて。
もう言葉にできません。


宮城県民、とくに女川町の情報は私が知っている限りのことを伝えて生きたいと思います。
女川はいま、瓦礫の撤去作業も進められていて、女川の外に出ている人もいます。しかし、ほとんどの人はまだ体育館で生活していると思います。

メッセージください。
女川にいる家族のことでも親戚のことでも、知っている情報は全て差し上げます。


被災地の方、頑張りましょう。
いま、私たちには何もありません。
これからどうやって生活していけばいいかも分かりません。
すぐに助かる保障もありません。

先のことは何も見えないけれど、いま生きていることに感謝です。
そう考えて、いまは踏ん張るしかないんです。

家族との連絡が取れない方

被災地では、3ヶ月近くは連絡が取れないかもしれません。
だけど、絶対に無事な人もいます。
連絡がつかなくても、絶対にあきらめないでください。


http://monchiblog.exblog.jp/15669225/




津波から生き残る―その時までに知ってほしいこと

新品価格
¥1,575から
(2011/7/19 10:11時点)


スポンサーサイト

テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~
ジャンル: その他

tag: 津波 地震 生還 mixi 避難所 学校

津波避難の経緯 陸前高田市 川原・寒風

Save Takata 岡本の妹さんより(2011年03月14日のmixiから抜粋)

これは高田関係者向けです。
私の家族、岡本家、主に祖母から聞いた情報です。参考になれば。
電話でざっと聞いただけでしかもおばあちゃんでところどころあいまいですが。

祖母 美栄子談。
地震直後、川原の近所住民で声を掛け合い「年寄りは時間かかるからとりあえずすぐに!」と着のみ着のまま身一つで川原会館へ。着いたところで「ここじゃだめだ、山へあがれ!」と誰かが叫んでみな裏手の道をあがって光照寺の墓場へ。ここから波がすべて飲み込むのが見えた。娘の啓子が来ないので絶望し、腰が抜け這うように近くの火葬場へ避難。
その後、私の母啓子と再会。
母は職場の大町からチャリで家に戻ったが、すぐに事務所に忘れた携帯をとりに戻り、また家へ。水一本と上着をひっつかんで車に乗り川原会館へ。会館から人がわらわらと逃げるのをみて車でそのまま上和野へ逃げ、高寿園へ。ここではいっくのお父さんにたいへんお世話になったとのこと。

いとこの詩央里談
地震時、第一中学校にいて校庭の向こう、砂煙と波が押し寄せるのが見えた。
学校にいた生徒は全員無事。体育館に避難。しかし情報入ってこず。その後保護者が迎えに来はじめ、母親の純子が迎えにきて高寿園へ。
叔母・純子は地震時フードサポート ナカタにおり、そこから寒風(高高のそば)の家へ戻り家の裏手の道に上がるが、「津波が堤防を越えた」という警報を聞いて裏手の山方面へ走り、高寿園へ。この警報を最後に警報が途絶える。

いとこの瑞貴談
小学校は二年生が(あるいは1年も?)5時限まである日だったため難を逃れた。小学校の校庭の階段まで・校舎手前まで波が来た。児童はまとまって高寿園へ向かった。

近くの避難所は和野会館、高田高校第二グラウンド野球場、高寿園、火葬場、どこも人であふれていた。食料など何も無かった。

今日の昼過ぎ、兄が高寿園に到着して再会。けーた君と聡太君も一緒。たくさん食料持って来てくれた。「しばらく滞在してボランティア活動する」と言ったが余震など危険だからまず戻れと母が説得。(兄が応じたかどうかは不明、17日連絡あり、現地で活動中とのこと)

高澤もち屋の娘の香ちゃんは高田病院の屋上で翌日に救助されたとのこと、子どもも学校で無事。
清風堂は二階にいたおばあちゃんとご主人が屋上にあがり救助された。
菅勝書店となりの宮陶器店は従業員がひとり家ごと高田高校の校庭まで流されたが翌日這い出して保護された。

避難を呼びかけて波に飲まれてしまったおじさん。
避難誘導で最後まで残り波に飲まれた消防の人。
学校で親を待っても、迎えがこない生徒児童も…。
物を取りに家に戻って間に合わなかった人。
中央体育館や高田高校の低地の体育館に避難してしまった人たち。

うちが、家族みんな助かったのは奇跡みたいなものだとわかりました。

電話も短時間で、泣きながらなので多少あやふやですがこういう状況でした。地震後、皆が避難に動いたことは間違いないです。
電話がくるのを信じて待ちましょう!

2011年03月14日
http://savetakata.org/2011/03/20/report1/





大震災の後で人生について語るということ

新品価格
¥1,575から
(2011/7/19 08:46時点)


テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~
ジャンル: その他

tag: 津波 生還 mixi

写真集

巨大津波が襲った3・11大震災―発生から10日間の記録 緊急出版特別報道写真集

中古価格
¥1,185から
(2011/7/19 08:21時点)

報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災

新品価格
¥1,575から
(2011/7/18 21:06時点)

東日本大震災 レンズが震えた 世界のフォトグラファーの決定版写真集 (AERA増刊)

新品価格
¥980から
(2011/7/18 21:07時点)

岩手日報社 特別報道写真集 平成の三陸大津波 東日本大震災 岩手の記録

中古価格
¥1,190から
(2011/7/18 21:16時点)

写真集 THE DAYS AFTER東日本大震災の記憶

新品価格
¥2,415から
(2011/7/18 21:17時点)

TSUNAMI3・11: 東日本大震災記録写真集

新品価格
¥2,940から
(2011/7/18 21:17時点)

写真記録 東日本大震災 3・11から100日

新品価格
¥1,890から
(2011/7/18 21:18時点)

TSUNAMI3・11: 東日本大震災記録写真集

新品価格
¥2,940から
(2011/7/22 22:43時点)

新聞縮刷版
書籍
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。