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「あるのは借金だけだ」

 すべてを失い、とてつもない悲しみに沈み、支援すらされない。

 だが、そんな極限状況でも、人間は光明を見いだすことができる。それを証明してくれる孤立集落を、本誌は訪ねた。

「海岸に1000体以上の遺体」と報じられた宮城県牡鹿半島の付け根、石巻市にその避難所はあった。

 名前は明友館。元々は市のコミュニティセンターだった。実はここ、行政が指定する避難所ではない。そして、本吉町や山田町と同じく、道なき道を進まないと辿り着けない。だからマスコミは来ない。

 被災者たちは記者を招いて言った。

「これ食べなせ。あんたらも、寒い中何も食べてないんだろう?」

 カセットコンロで温めた雑炊を差し出してくる。「あんたたち、初めて取材に来てくれたから」と記者の手を握る。

 明友館のリーダーは32歳の青年・糸数博さん。同センターの職員だった。

「他の避難所では、やはり家族単位でかたまって窮状を訴えるケースが多いときいています。ここは違う。皆が家から食料を持ち寄って、それをすべての人が分け合うのです」

 もちろん電気も水道もガスもない。真っ暗な夜には氷点下まで冷え込む。それでも人々の心に温かい火が灯っている。

 雰囲気作りに一役買っているのが、「社長」と呼ばれる今野雄夫さん(56歳)。地元名物「かき飴(牡蠣のエキスが入った飴)」を製造する会社を経営していた。ヘドロに埋まった在庫を掘り起こし、洗って避難所に持ってきた。

「工場も壊れた。もう二度と作れん。気張って登録商標とったのに(笑)。せっかくだから持ってけ」

 そう記者に押しつける。

「もう何もない。家もない。会社もない。もない。あるのは借金だけだ(笑)」

 でも、と社長は続ける。

「俺らには命がある。せっかく生き残ったのに、下向いてちゃダメだ。さっきも『みんなで居酒屋でも始めるか』って盛り上がってたとこなんだ」

 明友館の2階には酒も置いてある。記者が訪ねた震災6日目、それを祝ってというわけでもないのだろうが、彼らは被災後、初めて酒を飲んだ。

 町長以下、行政幹部がほとんど津波にさらわれた岩手県大槌町では、役所職員で一人残った佐々木健さん(53歳)が避難所のトップとして毎朝集会を開き、岩手県庁に意見を伝えている。

「夫に死なれた若い妊婦がいたり、どこも極限状態。でも誰かが指揮をとるしかありません」

 命があるだけ、自分は幸せだ。そう語る被災者に何人も会った。もう一つ、誰もが思っている。

 あなたが生きてさえいてくれたら---。

 暗く沈んだ避難所が、花が咲いたように明るくなる瞬間。それは、愛する人との再会劇だ。

「なんで連絡くれなかったの! もう死んじゃったかもしれないって・・・。この子を抱いて」

 岩手県大船渡市の盛小学校。生まれたばかりの赤ん坊を、母親がおじいちゃんに抱かせる。祖父の目からとめどなく涙が流れる。

 生まれたのは地震のわずか2日前。退院を待ちきれなかったTさん(62歳)は、11日、県立大船渡病院に孫の顔を見に行った。

 地震に襲われたのはちょうどその時だった。泣きわめく娘と孫に覆い被さる。ようやく揺れが収まると、院内に津波を報せるアナウンスが流れた。

「その瞬間、自宅にいる妻と幼稚園にいる上の孫のことが心配になった。娘に『病院は安全だから、ここにいなさい。お父さんは家に帰ってお兄ちゃん(上の孫)を保護する』と伝え、なかば放置するような格好で病院を去ったのです」

 自宅に戻る途中、津波に行く手を阻まれ、を捨てて逃げた。娘は行方不明になったTさんを「死んだ」と思っていた。

 盛小学校の避難所には新生児室がある、という情報を知ったTさんは這うように小学校を訪ねた。そして最愛の娘と孫に再会した。

 妻と上の孫は無事だったが、実は娘の姉、つまりTさんのもう一人の娘は、いまだ行方不明。孫との再会の直後、Tさんは「最悪のケースも考えている」と表情を曇らせた。


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テレビが映さない被災集落

 もう一つ、三陸地方の特徴を挙げるなら、その入り組んだ湾の形だろう。風光明媚なリアス式海岸---平時は観光の目玉となったその地形が、今回、深刻な情況をつくり出した。

 孤立集落、である。

 '70年の岩手国体を機に海沿いの国道45号線が整備されたものの、各湾の先端に行く道路はまだまだ脆弱だ。津波によって45号線が瓦礫に覆われ、各湾への道もズタズタになると、報道陣はもちろん、自衛隊からも見捨てられた集落が生まれてしまう。

 本誌は車を降りて道なき道をゆき、いくつかの孤立集落まで辿り着いた。

 岩手・陸前高田市から宮城・南三陸町に南下していると、農道で水汲みをしている男性に会った。彼の案内で通行止めの国道を外れ林道を抜けると、集落が現れた。気仙沼市本吉町だ。

「この町は、被害の状況は見ての通りです」

 その男性、菅原正さん(42歳)はため息をついた。見渡す限りのヘドロに瓦礫の山。住民の半分以上が行方不明だ。

「でも気仙沼中心部や陸前高田と違って、これまで報道されたことがほとんどなかった。たしかに目立たない小さな町です。でも、ここだって、町が一つなくなったんです。こうして報道の方が入ることで、少しでも水や食料が届くと嬉しいです。子供たちだって日に2回のおにぎりだけでは参ってしまう。励まし合って何とかやってるけど、現実は深刻なんです。本吉のことを伝えてください。お願いします。本当にお願いします」

 振り絞るように言って、菅原さんは我々に深く頭を下げた。

 岩手県山田町の船越半島にも200戸あまりの孤立集落がある。地震の2日後、本誌記者は瓦礫の中に生存者を捜す消防団の若者と言葉を交わした。

「携帯はまったく通じないし、ライフラインはもちろんすべて止まっている。おまけにラジオの電波も弱いので情報が何もない。自衛隊員も来ないし、警察官も来ません。こちらの情報を伝える術もない。衛星電話や食料や水をヘリコプターで投下してくれたら非常に助かるのですが、それを伝えることもできないのが残念です。

 昨日は壊れた家の下から3人の遺体を収容した。一体何人が亡くなっているのか想像もつかない」

 それだけ語ると、彼はまた作業に戻り、黙々と瓦礫との格闘を続けた。

 救援に当たる人員も物資も無限ではない。現段階ではすべての被災地に手が回らないのも、仕方がないのかもしれない。しかし、NHKが取材に入る避難所にばかり救いの手が差しのべられるのは、あまりに不公平ではないか。菅原さんもこの若者も、背中でそう訴えていた。


避難所には安否確認用名簿を見にくる被災者の姿が絶えない
 少し視点を変えると、孤立はしていないが、完全にメディアから忘れ去られている被災地があることに気づく。千葉県旭市。海沿いが全滅して10人以上の死者を出した。

 東北ではない。死者の数も比較すれば少ない。しかし、だからといって見捨てられる道理はあるのか。被災者たちは、記者を取り囲んで言った。

「東北と原発、そればっかり。千葉と茨城は完全に忘れ去られている」

「テレビ見てると給水車が来てどぼどぼ水を出している避難所がある。ここにそんなの来ないよ。役場に言ったら、1Lのペットボトル持って取りにこいって。ウチにはそのペットボトルがないんだ」

 もう一つ、彼らは隣人である東京都民の一部に対して、心底ガッカリしたのだという。

「なんでガソリン買い込んでるの? 電車が走ってるんだからいいじゃない」

「東京に住んでる親が、東京じゃもう米が買えないって、うちの近所で注文してました」

 被災地の支援格差。これは阪神大震災の時も問題になった。そして、今回の災害範囲の広さと甚大さは阪神の比ではない。当然、格差も阪神どころではない。


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車のドアは水圧で開かない

 に乗ったまま、津波に巻き込まれ命を落とした人も数多い。宮城県気仙沼市の消防団員・菅原寿則さん(41歳)の話をきこう。

「地震直後に海岸まで行き水門を閉め、マイクで『危険ですから高台に避難してください』と叫んでいました。他人を誘導していたくせに、津波への危機感が足りなかった。川が見る間に溢れて、慌ててに戻ったんです。今考えると自殺行為でした。乗り込んでキーを回し、バックさせて発進しようと思ったら、すでに水に囲まれていた。そのまま流されて、ハンドル切ってもアクセル踏んでもどうしようもない。逃げようとドアを力一杯押しても水圧で開かない。もう、恐怖に潰されそうだった。



瓦礫だけが広がる町で遺体の収容作業が粛々と進められていた。大船渡市
 その時、何かがぶつかったのか、助手席の窓がガシャンと割れた。大量の水が入ってきたけど、無我夢中でそこから這い出すことができたんです。軽自動だから狭い窓だけど、どうやって出たのか、もう思い出せんね。の上に乗り、横を流れる家の屋根に飛び移った。

 四つん這いになってしがみついたよ。一面洪水の状態で、助かるためには山に流されるしかない。無意識に『山へ、山へ!』って大声で叫んでました。願いが通じて山に流され、杉の木にしがみつき、枝から枝を猿みたいに伝って高台に避難しました」

 彼とは別に「パワーウィンドウは開かないけど、手動でクルクル回す窓だったから開いた。古いに乗ってて良かった」と語る生還者もいた。生死の境は、かくも微細なところに宿る。

 船が無惨に陸に横たわる光景が、テレビでも数え切れないほど流れた。津波の時、「船を沖に出す」のは漁村の常識だという。だが、そんな時間もない漁師がほとんどだった。

 岩手県山田町の平野正雄さん(63歳)が語る。

「朝から漁をして、岸壁に船を着けたかどうかの時に地震があった。サイレンが鳴って『津波が来る』という無線も入ったので、船を出さねば、と慌てた。

 仲間4人を集め、沖に向けて進み始めた瞬間、海がモコモコと盛り上がって押し寄せてきたんだ。船は木の葉のように揉まれ、湾の中をグルグル回った。

 海のことは知りつくしてるつもりだったが、俺の経験がまったく通じない波に初めて遭った。波を読んでエンジンを開いたり緩めたりしながら、なんとか沖を目指した。振り返ると、浜に津波が襲いかかるのが見えた。ドーン、ドーンと音がして、家が崩れて煙が舞い上がった。ただこっちも必死だから、とにかく沖に出なきゃいけない。なんとか落ち着いた頃には、もう浜が見えなくなっていた」

 津波警報が出ている間は浜には戻れない。結局、船上で夜を明かし、翌朝9時に港に戻った。

「集落が消えていた。防潮堤がサイコロみたいに寸断されていた。何人もの漁師が行方不明になった。港は壊滅だ。ただでさえ後継者がいないのに、網も流され、漁はもうできねえ。でも、助かっただけでありがたいと思うしかない」

 これまでの談話にもあったが、三陸沖の人々にとって津波は「身近」な存在だった。古くは明治29年の三陸大津波。そして昭和8年3月3日、3000人以上の命を奪った昭和三陸大津波。三陸の小中学校では3月3日に避難訓練を行うところが多い。

 今回、この身近さが仇となった側面がある。前出の大倉さんが振り返る。

「小さい頃から、『地震が来たら山に逃げろ』って、耳にタコができるほど親や祖父母に言われてきた。我々のようなハマの者にとって地震=津波というのは常識なんです。だから、堤防も補強してある。

 実はあの大地震の2日前にも地震と津波があった。津波は20~30cmだった。あれがよくなかったな。11日も、『揺れは大きいけどせいぜい1mか2mだろう。それなら大丈夫だ』と高をくくった奴は多かったと思うよ」

 なぜなら、大倉さんの住む宮古には「自慢の堤防」があったからだ。

 昭和三陸大津波の教訓を活かし、宮古では住民の寄付を募って防波堤を造ることにした。少しずつ建て増しをしていき、昭和53年には、港をすっぽりと覆う総延長2433m、高さ10mの日本一の防波堤が完成。その町の地名をとって「田老万里の長城」と呼ばれ、スマトラ沖地震後には各国から視察団が訪れた。住民たちは誇らしく思った。

 大津波はその誇りもろとも、宮古の人々の命をあっけなく流し去った。

「昭和35年のチリ地震でも、田老の長城はビクともしなかった。私たちは『絶対に大丈夫。この堤防が越されるわけがない』と思っていた。今思えば安心しきって逃げない人がいたことが、被害の拡大につながったと思います」(地元消防団の佐藤勝行氏)

 最近は三陸大津波やチリ地震を知らない若者も増えていた。佐藤氏が続ける。

「彼らは堤防の外、海側に家を建てるんです。地価が安いからでしょうね。宮古市も宮古市でなぜか建築許可を出してしまい、最近では50軒以上の民家がありました。そこは跡形もない更地になりました・・・」


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