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「怖い、怖い」泣きじゃくる園児30人、救った背中 大槌保育園

 女性保育士とスーパーの従業員らは、四つんばいでしかはい上がれない急斜面を園児30人を背負って駆け上がった。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町の大槌保育園。園舎も避難場所も津波に襲われたが、保育士らの必死の避難で園児を守った。

 八木沢弓美子園長(45)によると、地震発生時は昼寝が終わったばかり。園児約100人はパジャマのまま防災ずきんをかぶり外に出た。向かったのは国道沿いの小高い丘にあるコンビニ。町の指定避難所は空き地で寒さをしのぐ建物がない。保育園は、津波浸水想定区域のぎりぎり外にあるこのコンビニを独自の避難場所と決めていた。

 八木沢さんはコンビニ店内で、迎えに来た親に園児のうち約70人を引き渡し、外を見た。「家の屋根をたくさん浮かべた高い波」が迫ってきた。「怖い、怖い」と泣きじゃくる園児ら。覚悟を決めた。「山に逃げよう。先生のそばにいれば大丈夫」

 国道は市街地から逃げる人や車で大渋滞。八木沢さんらは、1歳から年長まで残っていた園児30人を散歩用の台車に乗せて車道を駆け上がり約300メートル先の山のふもとへ。近くのスーパー従業員約30人も避難していた。

 さらに津波が迫ってきた。もう考えているひまはなかった。目の前には30度を超えるような急斜面。でも登るしかない。八木沢さんら女性保育士20人と男性保育士1人、さらにスーパー従業員の男女が手分けして園児をおんぶし、斜面に張り付くように四つんばいになって、切り株や木に手をかけて登り始めた。上へ、上へ。

 必死だった。登りながら振り返った。大槌湾から押し寄せる波が、コンビニと園舎、指定避難所の空き地に向かう道路をのみこんでいった。

 山頂は雪。眼下で火事も起きていた。山頂まで何分かかったか覚えていない。20分だったか、30分だったか…。

 気持ちが落ち着いたら、山頂からふもとにつながる細い山道があることに気付いた。歩いてふもとに下りたのは真夜中だった。

 コンビニで親に引き渡した園児のうち9人が、死亡または行方不明になっていた。最後に引き渡した女児は、乗用車の中で防災ずきんをかぶった姿のまま遺体で見つかった。

 「あそこで引き渡さなければ、あの子は助かったんだろうか」。八木沢さんは保育士を辞めようと思い詰めたが、保護者の声に支えられ保育園再開のために汗を流そうと決めた。亡くなった子供や親の分まで、自分にできることを精いっぱいやるつもりだ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110405/dst11040510020021-n1.htm



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テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~
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tag: 津波 子供 幼稚園・保育園 産経 スクラップ 救助 非難 生還 犠牲

「見殺しにはできないから俺たちもここで死ななきゃならねぇ」

(前略)

母の母(祖母)
母の兄夫婦



ぐらぐらって地震がきた
津波警報が鳴っている。
警報なんていつものことです。

鷹をくくっていました。
津波なんてくるはずがないのです。

祖母一家は
海岸とは雰囲気違う
賑わっている し交通も激しいところです。

この3人は大槌の駅前通りの主要道路沿いに住んでいます。
銀行や商店が並んでいます。


1階は店です。

祖母の離れはその奥の岩を登った上にあって
いくら言っても母屋で暮らさなかったのです。



96歳なのに

あの岩を登らせているのか?とよそから非難されても

おばあちゃんは優しいいのですが
頑固だから一緒に母屋で住もうと言ってもいうことを聞かないんだそうです。
歩けるからすごいのです。

まだまだ私は大丈夫だから!と言ってます。

確かに足取りは70代といってもいいほどなんです。
たぶんその岩で鍛えられたんだと思います。



海からほど遠い本町は
津波なんか来たことがないのです。
せいぜい2、300メートル海寄りの家には水が床にさら~っと来た伝説は祖母が昔聞いたことがあるらしいということです。

実際祖母もそこの場所で津波の水を見たことがないのです。

だから慌てなかったみたいです。
そうですよね、地震で倒れるかもとは思っても津波はね。


それでもオバサンは地震があって祖母がいる離れを見に行こうとしました。




第一波

オバサンが玄関開けっ放しで岩を上がったところ
もうすでに水が上がってきて
途中のに1軒家があるのですが木か家かにしがみついて
水が去るのを待ったと言います。
すごく怖かったそうです。




オジサン、2階の居間にいました。
水だぁ~と言われ逃げようとしたらオバサンが開けていった玄関から
ぐわっー!と水が入ってきました。

玄関開いてなかったら窓ガラス割って入ったと思うと言っていました。

仏壇も何もかにもが水でぐちゃぐちゃになって

畳の上に絨毯ひいているのに何故かオジサンは畳1枚の上にちょうど乗っていて寝ている状態で浮かび

どんどん天井まで上がったそうです。

どこにも逃げ道がないんです。


後30センチ・・・

っていうところで止まったんだそうで
チャプチャプ浮かんでいったのでその時点であまり濡れていなかったんだそうですが


ホントに死ぬかと思ったと言います。


オバサン、ちょっと水がひけたから水を漕いで祖母家に行きました。




第二波


オジサンも祖母の家に上がる
そこなら大丈夫だろう、まさかこんな岩の上までくるはずがないとまた思ったそうです。

しかし第二波の方が高かった!


避難所はその山を越えた中央公民館

高台にあるらしいのです。
しかし本来ならぐるっと回ってしか道がありません。

さてそこに行こうとしましたが
駐車場は水がありもう下には戻れないし、車は水浸しになっています。

自分の庭のようなものだろうから行き方は知っていたそうで
オジサンたちは笹藪通って山を上がろうと決意します。

そうしたら祖母言いました。私ここにいるからいいからみんなで行って!

そのへんが曖昧なのですが
そこで第二波がきたのかな。

山の上のそこの祖母家の押し入れの下まで水がきたらしいです。
すごいんですよ!


そこに5、6人集
たぶん町内の誰か消防団でしょうか
でも知らない人たちだったといいます。

さあ、ばあちゃんつかまって逃げよう
と言われて

やっぱり祖母

わたしゃーこの歳まで生きたからもう死んでもいいからあんたたち早く行きなさい

その5人集が
そしたら見殺しにはできないから俺たちもここで死ななきゃならねぇ

はー、そしたら困ったね
おりゃ(私)行かなきゃならないのかねぇ

んだんだ、

おめはんたちまだ若いのに死なせたら悪いっから
そんだら行くっか


もう!
おばあちゃんの頑固!
でもその見知らぬ5人だか6人集は(祖母の命名)

青いカーテンを(どこのかわからない、多分祖母家のではない)
途中まで割いて2枚重ねにして
おばあちゃんをくるみ
その笹藪をおぶってかな、かついで登ったらしいんです。

オジサンオバサンも一緒に

中央公民館で降ろした時に
「こればあちゃんのだろ?」と出したのは

一昨年かな、盛岡に来た時に私の腕にあったのをあげた

腕輪の念数だったんです!!!
もうびっくり!!!
きっとこれが守ってくれたんだと!私も祖母も後で言ってました。


いつもは歩かない笹やぶだから
身体中傷だらけだったそうです。

そして、公民館では祖母が首までびしょ濡れになったので
全部脱がせて
何か違うのを着せてもらい

高齢者だからこの避難所じゃないどこか施設の方がいいとオジサンが頼み

老人施設に連れて行ってあげると
車でおばあちゃんだけ移したそうです。

その時オジサンかな、祖母家に戻り
押し入れ上にあった濡れてない掛け布団を持ってきて
祖母にやったそうです。

その布団があってよかった、助けに来るまでくるまっていたんだそうです。

老人施設には祖母が一番のりで
次に親子連れが来て
その日はそれだけで泊まりご飯なしです。

次の日からどんどん来たそうで
トイレのそばだったからうるさくて寝られなったのと
くつしたも履いてないから寒くて寒くて布団にくるまって3日間を過ごしたそうです。

自分は不思議に全然トイレに行きたくなくて
ただうるさかったと言ってました。

紙オムツを履いたこともないけどそれしかないから履いて寝たらそこは温かかったと笑ってました。

次の日から1日2回は何か食べ物が出たみたいです。


オジサンとオバサンは
中央公民館で1夜過ごし
その日は食べ物なしです。

次の日の話しかな、誰かの車に乗せられて
違う避難所に行ったみたい

そこ大ヵ口多目的集会所は祖母の妹の息子、つまりオジサンの従兄弟(弟の方)が近くにいて
ご飯食べさせてもらったりして

それでも避難所で出された2回の食べ物は貰って食べたらしいのですが

それでお腹いっぱいじゃなかったと言っていました。


ただゴロゴロ人が寝ていて
すぐ隣には誰か他の人がいて窮屈だった、と言っていました。

最初、濡れた洋服を全部脱いで毛布にくるまって
乾くのを待ってまた着たんだそうですが
海水ですよね、べたべたしていたでしょうね。


そのご飯食べさせてもらったオジサンの従兄弟の実家は祖母家の近くの商店やっています。
兄と94歳のおばあさん(祖母の妹)がいます。

うちの祖母と違って足が不自由なので動きが悪いんです。


そのおばあさんと長男息子は一緒にいて

ここから動かないでいる、と言ったから第二波で呑まれたんだ、とオジサンたちが言っていました。

私の聞き方が悪かったのかそのへんがよくわからないのですが
3人で言うのでそうなんだと思います。



弟の従兄弟夫婦は避難所でよく働いていたそうです。
家が残ってるってパワーが凄いんですよね。
元気な人たちがいてよかったです。



焼けなければ
何かは残ったと言います。

誰もがそう思いますね。


夜にはすっかり火が上がっている映像を私はパソコンで見ました。

ちょっとの間で火が出たので

だから壊滅というんですよね。


そのオジサンの息子が迎えに行って
家族で自分の家の焼け跡を見てきたかったらしいですが
瓦礫の山で道がふさがれて
遠くからしか
あの辺かな?しか
見れなかったって言っていました。


とても残念だと言っています。

火事さえなかったら

と思うけれど
津波に流された映像を何度も見ると本当に命あってよかったのです。

本当に助かってよかったです!





私が聞いた話しです。

こういう体験もあるんだな、と知ってほしくて書きました。

まだ見つからない親戚、友人がいます。
阪神淡路大震災と違って津波で流されてるからどこに誰がいたとか
わからないと今日も話してました。

とんでもないところまで流されてるようですよね。

私は内陸育ちなので
海は大好きでした。

災害にあった人にかける言葉が見つかりません。
これから生きていくのに何か手助けできればいいなと思っています。

ご冥福をお祈りします。

そして早く身元がわかりますように!
祈っています。


       合掌。


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tag: 津波 生還 高齢者 ブログ 避難所

その時 何が(15)ツアー客生還(岩手・大槌―秋田・五城目、井川)

◎宿泊客の命、最優先/ホテル社長、今も不明

 岩手県大槌町にバスツアーで訪れ、震災に遭った秋田県五城目町と井川町の老人クラブの会員ら43人が3月13日、バスで無事、帰還した。滞在先のホテルから従業員の誘導で高台に避難。集会所で2晩を過ごし、着の身着のまま、直線で約170キロ離れた地元にたどり着いた。

 「来た、来た」
 3月13日午後3時半ごろ、43人を乗せたホテルのバスが見えると、五城目町役場に集まった家族が声を上げた。バスから降りた人に駆け寄り、泣いて抱き合った。
 43人は大槌町の宿泊先「浪板観光ホテル」のはんてんを羽織ったり、ボロボロになったスリッパを履いたりしていた。五城目町の猿田利美さん(79)は「おかげさまで全員が無事に帰ってこられた」と声を詰まらせた。
 ツアー客42人と行動を共にした添乗員新井治子さん(52)は「全員が助からないと意味がないと思い、必死だった。五城目の山を見て涙が止まらなかった」と話した。

 3月11日の地震発生時、ツアー参加者はホテル地下1階の劇場にいた。芝居が終わり、歌謡ショーに入った時、強い揺れに襲われた。「避難、避難!」。従業員や新井さんの大きな声が響いた。
 駐車場に出ると、津波を知らせる警報音が鳴った。猿田さんは海の水が引くのを目にした。「みんなで津波を見てみようか」。海に面しない五城目、井川両町。経験がないだけに悠長なことを言っていたという。「高台へ上がれ」。従業員らの指示に慌てて従った。
 少し高い国道に上がり、さらにJR山田線の線路を横切って山を登った。浴衣にスリッパ姿の人が多く、滑り落ちる仲間もいた。最高齢は88歳。「引っ張れー」と声を掛け合って引き上げた。
 ホテルは津波で地下1階から2階までが浸水した。43人は避難所の集会所に移動。地元の人に食料や毛布、衣類などの提供を受け、しのいだ。
 五城目町役場がツアー客の安否不明を知ったのは、翌12日午前10時ごろだ。震災の会議後、両親がツアーに参加していた課長が「個人的な話だが…」と切り出した。
 大槌町で甚大な被害が出たことは伝わっていた。「まさかうちの町民が大変なことになっているとは思わなかった」と渡辺彦兵衛町長。
 連絡が取れたのは13日午前9時50分ごろだった。ツアー参加者がバスで秋田に戻る途中、盛岡市内で携帯電話が通じた。

 2カ月半後の5月24日、五城目町で「浪板観光ホテル」の従業員を招いた交流会が開かれた。避難所暮らしを続ける従業員もいるため、1泊2日でゆっくりしてもらおうと、町などが企画した。
 「町民を守ってくれた」。五城目町にはホテルや大槌町への感謝の気持ちが強い。「従業員らのおかげで1人もけがなく、災難から逃れられた。避難所でも周りの人たちが一生懸命支えてくれた」と猿田さん。4月には渡辺町長が大槌町に足を運び、義援金や救援物資を渡している。
 交流会では、ホテルの営業部長小国正裕さん(53)が壇上に立ち、山崎龍太郎社長(64)が「自分よりお客さまを優先するように」と指示していたことを紹介した。
 大槌町には3月9日の地震で津波が来た。山崎社長は翌朝、避難誘導の徹底を命じたという。
 その山崎社長は今も行方不明のままだ。ホテルではあの日、約60人の客は無事だったが、従業員2人が死亡、社長のほか、若おかみら2人が行方不明となった。
 山崎社長は、1階ロビーにいた姿が目撃されている。「最後まで逃げようとしなかったのでは」と小国さん。
 渡辺町長は「客の命を最優先してくれた。感謝の言葉しかない」と語った。(鈴木拓也)


2011年05月30日月曜日
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