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体験談と教訓

はっきり覚えてるよ・・
大きく揺れて、ローボードの上に置いてあったテレビとかコンポが飛んできた 一応釘打ってワイヤーで固定してたはずの本棚がワイヤーが切れたり釘が抜けたりして倒れた 揺れが収まったときは停電してて部屋中わやくちゃ  
・急いで暗闇の中で服を着て財布と部屋の鍵を確保してベッドから降りようとしたんだが、天井の照明器具が落ちてきていて、足を怪我するところだった
・靴を履いて部屋から出たんだが、周囲はガスの臭いが充満してて、怖かったから自分の部屋のガス栓は元から閉じておいた
・近所の公衆電話で実家に電話して「とりあえず俺は大丈夫」と言うだけで10円玉がなくなった テレホンカードは使えなかった
・近所のコンビニに行ったら一旦店を閉めて店内の片づけをしていた 15分くらいで店主が店の前に出てきて
「こういう状況なのできちんとレジも使えないけど、大体で会計するからわかってくれ」
と言ってて、俺はお茶2リッターペットボトル2本と乾電池4本とバンドエイドとウエットティッシュを買って、店主に「大体1500円です」と言われたので2000円払って
「すいませんが10円玉をください」と言って10円玉を20枚くらいもらった
・その10円玉でやっと実家に電話しなおして家族の無事を確認して、建物の中に入るのが怖かったので車に乗って車のラジオで情報を集めた
そのときに「神戸の震度は5に訂正された」と言ってて、「この大地震で震度5かよ・・マジかよ・・」と思った・・
・明るくなってきたので建物の中に入って、(靴を履いたまま部屋に上がって)部屋を片付けて、(停電が回復していたので)掃除機をかけて、風呂桶に水を張っておいた 俺が風呂に水を張り終わってから10分くらいで断水した
・それから自転車で近所の小中学校を回ってみたんだが、電柱が倒れてBMWに刺さってたりとかがいっぱいで、細い道でも車で通れなくなってる道がいっぱいあった
近所の小中学校を回ってみたんだが、1件目はなんか遺体の安置所に使われたみたいで、毛布にくるまれた遺体がどんどん担ぎ込まれてきてて、怖かったから別の学校に行ったら被災者がいっぱい集まってきていた
・なぜか郵便局の赤カブが走り回っていたので、「これは郵便局は無事なんだな」と思って、母ちゃんに電話して郵便局の口座にお金を振り込んでもらった
このときに電話ボックスのまわりに「携帯が通じない・・困った」と言っている人が大勢いたのと「体を打って痛いんだけど、家の電話も通じないし消防署にもつながらない・・どうしたらいいんだろう」っていう人が大勢いた
・これは長期戦になるので一旦実家に帰ったほうがいいなと思って、冷蔵庫の中のものと前日に作ってあったおでんを大屋さんの所に持って行ってから部屋の電気を配電盤から落として、電話線もジャックから外してから車で4時間かけて実家に帰った
3時間は国道43号線を抜けるまでの時間で、国道43号線を抜けたら1時間だった そこまで出てきたら普通に店が開いていたのが不思議だった・・
・1日実家で休んでから実家の近所のホームセンターで ポリタン2つ カセットコンロ カセットガス24本 を買って、アウトドア用品店とか登山用品店を回って キャンプ用ガスコンロとガス 山用非常食数日分 を買って
自転車用品店で 自転車のパンク修理キット数セット を買って スーパーで米を20kg買って、それを全部背負って部屋に帰った これらは友人たちの所に行ってばらまいてきた
・大家の張り紙で「部屋のトイレを使わないでください」と言うので大学のトイレを使ったんだが、ここでも水が出ないのでうんこした後にケツを拭いた紙は大型ゴミ袋に入れるようにしろと言われていて、トイレはそのうんこの臭いが充満していた
・大学は数日後になってやっと1日だけみんな集まったんだが、その後3月下旬まで休講で、3月下旬に一気に試験だった 全員進級だったと思う
・国境なき医師団の「健脚ボランティア」というのが募集されていたのでそれに友人数名と志願して、祭りとかで使う大型のプロパンガスコンロとプロパンガスのタンクと (これは俺の金で買った)板チョコ30枚を持って灘区の避難所まで持っていった
帰りに43号線を歩いたんだが、自衛隊とかの大型ユンボが、先っぽにコンクリートに穴開けるあれをつけて、倒れた阪神高速を解体してたのを見れたのはいい経験
自衛隊がテント張ってるところも見たんだが、アウトドアの教科書に載ってるのと寸分違わずテントの周りにきちんと溝掘ってあった
・後日から思い立った俺は自転車の修理キットを持って自転車で神戸市内まで行って、自転車修理のボランティアをやってきた 3週間くらい続けたが、需要がなくなってきたのでやめた

教訓:
・家具の固定には頑丈なワイヤーを使うこと 家具が倒れてきてもベッドの方向には倒れてこないように部屋の配置を見直すこと
・ベッドの横には必ず靴を置いておくこと 部屋の中でも靴を履くこと
・トイレが水タンクがある形だったら、トイレの水タンクに2リッターペットボトルのお茶を2本くらい入れておくこと 普段の節水にもなるしあるとないとでは大違い
・水が出るうちに必ずできるだけ水を確保すること 水は重い 給水車が来ても運べる水の量は限界がある それを前提にすること
・必ずガスの元栓を締めること 部屋を脱出する場合は電気を配電盤で切って電話もジャックから抜いておくこと 
・最初に確保するのは財布(免許証とか保険証とか)携帯はその後でいい 財布の中には必ず現金をある程度入れておくこと(コンビニATMが止まったらどうする?)
・服を着たら部屋から一旦出ること もしかしたら建物が大打撃を受けているかもしれない
・このような非常時は思っているほど携帯は使えない(つまりWimaxも使えない) 停電していたらネットも使えない 必ずラジオを確保しておくこと
・ワンセグとかで携帯をフル活用してたら携帯の電池がすぐになくなる 必ず乾電池で充電できるタイプの充電器を確保しておくこと
・意外に役に立つのが電気のコンセント 避難所でみんなが携帯に充電しようとすると電源が足りないので重宝する
・公衆電話はテレホンカードは使えなくなる 100円玉を入れても10円玉としてしか認識されないので10円玉をある程度確保すること
・近所の小中学校は必ず2件以上回ること 遺体の安置所に使われる可能性もあるからだ
・電子マネー コンビニATM 携帯電話 ネット が使えない環境を前提にすること できれば郵便局に口座を持って10万でいいから郵便局の口座に入れておくこと
・コンビニとかで乾電池はいちばん最初になくなる でも買い占めないこと(不必要に人の恨みを買うとこういう状況ではあまりいい結果にはならない) 普段からある程度乾電池は用意しておくこと
・2~3回でいいからアウトドアクッキングをやってみろ 鍋でごはんを炊いたりカセットコンロだけで料理を作れるスキルはアウトドアクッキングに通じるものがある
・あと、店頭からカセットコンロとカセットガスはすぐになくなるが、意外とキャンプ用のコンロやガスはなくならない そういうのを備蓄しておくのも悪くはないし使い方に習熟しておくのが吉
・カセットコンロとカセットガスはいくらあっても足りない 普段から無駄だと思うレベルの量を備蓄しておくこと
・飯を食った後の食器を洗う水が絶対的に足りなくなる 食器にラップをしたりしてできるだけ食器を汚さないようにすること ラップの備蓄もあればあるだけいい
・電子マネー コンビニATM 携帯 ネットが使えなくなるという前提で全ての準備をすること
水が足りない ガスが使えない 電気もダメかもしれない という前提で どうやって水を確保するか どうやって調理用の熱源を確保するか どうやってトイレを快適にするか を少し考えておいたらいい


http://questionbox.jp.msn.com/qa6639469.html



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tag: 地震 生活 レポート ブログ

阪神大震災と私

 今回、この体験談をまとめるにあたり、まず全国の皆様に御礼を申し上げます.
日頃、何気なく生活し、水も空気も電気もガスも、その存在すら意識しない人生が一変したあの日.
全国の皆様の真心が、どれほど有難かったことか.私たち家族は、一生忘れることはないでしょう.
 その御礼のためにも、私は今回の地震で体験したことを、できるだけ詳しく書き記していきたいと思います

 私の住む神戸市東灘区は6千余命の死者の内1千5百名以上の方が亡くなった最も被害の大きい被災地であり、町は一瞬にして廃墟のごとく、瓦礫の山となりました.
 私も本当なら死んでいたかもしれないところを奇蹟的に生きて還って来ることができました.これも偏に、ご心配してくださった皆様のお陰であります.
私は10年間東京にいて地震の怖さは知っているつもりだったのですが、関西に帰ってきてはや10年、まさかこの神戸に大地震が来るなんて、まったく考えてもいませんでしたし、地震に対する備えも何ひとつありませんでした.
 今回の大地震で、地震がいかに恐ろしいものであるか.そして生まれて初めて死に対する恐怖を知り、今でもあの瞬間のことを思い出すと身体がブルブルと震えてしまう程です.
地震は、何時、何処に、そして誰の上に襲いかかってくるかわかりません.
このたび、お世話になった皆様に、震源地の近くの状態はどうだったのか、またどうすれば生きのびることができるのか、何らかの参考になれば幸いです.

 私は、JR住吉駅近くの5階建てのマンションの3階に住んでおりました.
地震直後の部屋の中の状況は、タンス、本箱をはじめすべての家具が倒れ、本はすべて床に転げ落ちていました.
 リビングにあった29インチのカラーテレビが宙を飛び、3メートル離れたコタツに当たって、コタツの足が砕け飛びました.
もしコタツで寝ていたらと思うとゾッとしました.
食器棚も倒れ、あたりにガラスや食器が散乱し、流し台にのっていた食器洗い機も台所の床に転げ落ちて下りました.まるでマンションが真っ逆さまになって物が落ち、もう一回元にもどったような、ものすごい状況でした.
松下電器の社員の中には、400リットルの冷蔵庫(重さ約100キロ)が地震のショックで天井に突き刺さって落ちてこない家や、33インチのカラーテレビが前で寝ていたお爺ちゃんを飛び越えてマンションの壁を突き破って隣の家に転がっていった家もあり、まさに空前絶後、想像を絶する凄まじい状況でした.

私もあと4分遅くまで寝ていたら、妻と子供もろとも洋服タンスの下敷きになるところだったのですが、奇蹟的に助かりました.
私は普段、目覚し時計を5時50分に合わせて起きるのですが、朝は少し余裕を持つために、その時計だけ7分間進めてあったのです。
ですから、私は実際には5時43分に起きて、運命の5時46分の大地震を玄関のところで受けました。
 朝、起きてすぐにご仏壇にお水をお供えした私は、なぜか健康保険証が気になってしかたがありませんでした.
というのも、前日まで3連休で、40.3度の高熱が 出ていた3歳の娘を、休み明けすぐに病院に連れて行こうと思っていたからです。
起きてすぐ、忘れないうちに取りに行こうと思って玄関を隔てた娘の部屋まで行く途中だったのです.
 もし、あの日娘が熱を出していなければ、私は死んでいたかも知れません.
なぜなら、私は毎日5時45分には、ベランダに出て体操を欠かさずやっていたので、地震の衝撃でベランダから振り落とされて、地面に叩きつけられていたはずだったからです.
あの瞬間、三ノ宮を歩いていた人が3メートルも飛ばされたという話がありますが、まさに九死に一生を得ることができたのです.
 
 震源地近くの直下型地震は想像を絶するもので、とても言葉で言い表せませんが、地面が裂けるような地響きとともに、縦揺れと横揺れがほとんど同時にきて、まるでマンション全体が浮き上がって、回転して叩きつけられる感じで、自分自身がいったいどうなっているのか、まったくわからず、照明は一瞬で消え、私は玄関のドアに激しく叩きつけられました.

 まるでマンションに原爆が落ちたのか!彗星か隕石が落ちたのか、ジェット機が墜落したのか、地震だとはその瞬間わからず、マンションが大轟音をたてて崩れて、身体がブラックホールに吸い込まれて潰れる.
身体中の血液が逆流し、地獄の底に引きずり込まれるような感じで、生まれて初めて、死に対する恐怖を知りました。死ぬということがこれほど迄に恐ろしいことなのか、身体の芯までわかりました。
 揺れが収まるまでの、わずか20秒の間が永遠に続くような気がしました.
気がつくと、私は幅120cm、重さ100kgの下駄箱の下敷きになっていました.
しかし、玄関に置いてあったベビーカーが間に挟まってクッションになり、身体に当たる寸前で、下駄箱は止まっておりました。そのベビーカーは無残にも、グシャグシャに壊れてしまったのですが、そのお陰で私は無傷でした.
 もし、この時保険証を後回しにして、いつもどうり外で、体操をしていたら、今頃、地面に叩きつけられて死んでいたかもしれません.又、もし地震があと2分遅く来たとしても、保険証をとった私はベランダに出て体操をしているはずですので、同じように死んでいたかもしれません.
運命の1995年1月17日午前5時46分を、私は生涯忘れることはないでしょう.
私にこの日の5時46分にとった行動、出来事をうまく説明することは難しいのですが、人智を超えたすごい力が働いたことは事実なのです.


 
 自分の身体の無事を確認した私は、真っ暗な中、無我夢中で妻と2人の子供が寝ている6畳の和室に飛び込みました。すると、わずか3分前まで私と3歳の美優紀が寝ていた場所には、大きな洋服タンスが倒れ、生後9ヶ月の聡一朗の寝ていた場所には、重さ60kgのスチール製の書類ケースが押し入れから落ちて倒れておりました.
 私はその光景に声も出ませんでした。私は無我夢中でその書類ケースを蹴り上げてしまいましたが、びくともしませんでした。
すると、そのケースの向う側に3人の顔が見えました。恐怖に震える2人の子供を両脇に抱えて妻がわずかな隙間から出てきたのです.
 妻が言うには、地震の起きる1時間くらい前に9ヶ月の息子が泣いて、連鎖反応的に3歳の娘も泣いたので、2人を抱いて真中の布団だけで3人が寝ていたというのです.いつも3枚の布団に4人が川の字に寝ているのですが、この時は、両サイドに倒れた洋服タンスと書類ケースがあり、3人はその間のわずかのすきまに寝ていたので、奇蹟的に助かったのです.
私は思わず3人を抱きしめて泣きました.

 後で、写真を見ていただけば、わかるのですが、私のマンションのまわりの木造家屋はほとんど全滅の状態で、すぐ北隣りの7階建ての大きなマンションでさえ、1階部分が押し潰されて、いつ倒れるかわからないほど、傾いてしまいました.
 外に出て、そのあまりにひどい惨状に衝撃を受けた私は、もし、いつもと同じことをしていたら私も、2人の子供も死んでいたかもしれないと思うと、命が震えるような思いでした.
 しかし、事態はこれだけではすみませんでした.




 私は家族の無事を確認すると、妻の実家が心配になりました.
妻の実家は、私のマンションから西の方へ、歩いて5分足らずのところにあるのですが、築25年の木造の2階建てに1家4人が住んでいたからです.
 外が明るくなってから、西の方角を見ると、既に何本か火の手が上がっておりました.
実家が燃えているかもしれない.
私は走って実家に向かいました。途中、道路はいたるところで、陥没し、亀裂が走り、大きな家が何軒も倒れ崩れていました.ガスのにおいが鼻を突きました.
 しかし、不思議なことに、まわりの家がほとんど全壊、半壊の中で、妻の実家の並びの一画だけは、まったく壊れておりませんでした.
そして、火の手はもっと西の方で上がっておりました.

 家の中はもちろん滅茶苦茶で、家具がすべて倒れていたのですが、奇蹟的に義父、義母、義妹2人と4人全員、かすり傷ひとつ負っておりませんでした.
 あとで、中に入ってびっくりしたのですが、義父の寝ていた部屋はタンスがめちゃめちゃに倒れ、足の踏み場もありませんでした.しかし普段7時に起きている義父は間一髪難を逃れました。
たまたま、この日、仕事が早番で、いつもより早く5時半に起きて、地震発生の時は、台所でストーブをつけて、コーヒーを飲んでいたというのです.
義父は地震の瞬間に、何とかストーブだけは消して、台所に倒れこんでしまったというのです.
 もし、この最初の一瞬にストーブを消すことができなければ、この東灘区も辺り一面火の海となり、私の実家が火元となってもっと大勢の方が亡くなっていたかもしれません.
そして、私たちは、一生火事の火元として、皆から恨まれつづけることになるところだったのです.
 義母もタンスの下敷き、妹2人も部屋中のタンスの下敷きになったのですが、不思議なことに、テーブルとかチェストとかが、ギリギリのところで支えになって、まったく怪我をしなかったというのです.

 その後、私たちは、住吉浜のLPガスの爆発の危険が迫り、山の手の住吉中学校まで、ベビーカーに貴重品と毛布だけを積んで、逃げ回ることになりました.

3日間避難所にいて、90CCのバイクに親子4人が乗って、茨木の私の実家まで、避難してきました.
マンションの修繕に1年かかるため、三田市の仮設住宅にも行きましたし、アパートに仮住まいも経験しました.

 ここで、お世話になった皆様にどうしても、一人の人間の心からの叫びとして、お伝えしなければならないことがあります.

 それは、あの死を覚悟したあの瞬間に感じた、なんとも言えないくやしい思い、これまでの自分の人生で、
誰も幸せにできずに死んでいく、くやしい思いについてです.
私の人生はあの1995年1月17日5時46分に終わっていてもおかしくなかった.でも何かの使命があって生き存えることができた.この事実について、今お伝えしなければ、今度、死に直面したときに、同じ後悔はできないと思うからです.
 地震の怖さを一人でも多くの方に語って行くこと、これが私に課せられた使命なのです.


 今回の地震をきっかけに北海道から関東、長野、九州、和歌山まで地震が起こっています.
特に西日本は地震の活動期に入ったと言われ、大阪も活断層だらけで、いつどこで同じような地震が起こるか誰にもわかりません.
 週刊誌その他で、「私はこうして助かったとか、こうすれば助かる」とか書かれていますが、実際に震度7を震源地近くで受ければ、もう人間の力ではどうすることもできないのです.
わずか1、2秒の間にできることは「あっ!」と声を出すことくらいしかできないのです.
机の下に身を隠すとか、そんな余裕はないのです.

 またいつ、大地震がくるか誰にもわかりません.

もう3年半の年月が経とうとしているのに、私の身体の中には、まだあの1月17日の5時46分で止まっている部分があって、こう目を閉じると「悪い夢を見ているだけなんだ.だから早く覚めてくれ.」という思いがあるのですが、現実を直視すれば6千名以上もの尊い命が亡くなったことも事実ですし、また、いつ、どこで、誰の上に降りかかってくるかわかりません.

 まだ、地震後、神戸に行かれてない方は、是非、現地に行って見て下さい。路地を一本はいれば、更地は広がり、地震直後のままの崩れたマンションがまだ残っています.
仮設住宅も1万戸以上残っているのです。
テレビを通してでは、決してわからない現場の悲惨さがきっとわかると思います.
皆様には、それを次への教訓に絶対にして頂きたいのです。
心からのお願いです.

 神戸の人たちは、今回の地震が東京とか大阪でなくてまだよかったと言っているのです.
いきなり東京とか大阪に大地震がくれば、もっともっと大きな被害が出るでしょう.
私たちも、奥尻や東北の地震のときに、地震を人ごとと思わずもっと警戒しなければならなかったのです.

 皆さまのお知り合いの方の中にも、今回の地震でお亡くなりになられた方もおられるかと思います.
私のマンションのすぐ近くに住んでいた美容師の先輩も、文化住宅の下敷きになって、尊い命を落とされました.
私が急を聞いて駆けつけた17日の7時には、2階建ての文化の1階が押し潰されて、もうどうすることもできませんでした.名前を大声で呼んでも、何回叫んでも、何の返事もありませんでした.
 翌日、自衛隊がやっと来てくれましたが、地震の衝撃で、部屋の位置が一部屋分横にずれていて、
先輩はうつぶせに寝たままの姿で一瞬のうちに亡くなっておられました.
 もし、先輩が2階に住んでいたら助かったのにと思うと無念でなりません.

私も、ダブルのローンを抱え、これからが本当の意味で大変だと思います。
夜も2時間くらいしか眠れない日もあります.子供たちも地震のことを思い出すと夜中に泣いています.
しかし、生き残った以上亡くなられた方々の分まで、この世で生き抜いていかねばなりません.
 私も、本当ならマンションから落ちて死んでいた命です.
生まれ変わった命だと思って、先輩の分まで精一杯明るく、前向きに生き抜いて行きます.



1998年8月15日

http://www.hi-ho.ne.jp/fujiimasa/topic4.htm


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tag: 地震 生還 個人サイト

大地震が起こったら

1995年1月17日、M7.2の阪神大震災は起こりました。
いったい誰がこんな大地震を経験すると思ったでしょう。それも自分が。関東大震災がいつか来るとは良く聞きますが、近畿地方にそんな大地震が来るなんて・・・

阪神大震災では6433名の方がお亡くなりになりました。この場を借りてご冥福をお祈りいたします。負傷者は約4万人、避難者数は一時期30万人を超えました。お亡くなりになられた方の約90%は窒息や圧死、自宅が倒壊したり大型の家具が倒れてきた事によるものです。
古い在来工法住宅の被害が多く、家屋の被害は全壊が約10万棟、半壊が約14万棟。
ビルの倒壊や高速道路の倒壊も発生しました。
被害総額は9兆9268億円に上りました。仮設住宅では2000年3月末の撤去まで、最大4万6617世帯が生活しました。
ライフラインの復旧は最長で水道90日、電気7日、都市ガス84日かかりました。

お亡くなりになった方6433名の一人一人の人生や亡くなられた方の家族、周りの方の人生をこの地震が変えてしまった事を私達は忘れてはいけません。
どれだけ時間が経って街が整備されて復興しても、亡くなった人達が生き返る事は無い・・・戻ってくる事はありません・・・ご家族や身近な人を亡くされた人達の悲しみが癒える事は無いと思います。


阪神大震災体験談



私の出身地は兵庫県です。兵庫県の中でも大阪に近く震災で亡くなられた方も少なく、神戸中心地に比べると被害は少ない地域です。
被害が大きかった地域の方はもっと大変で悲惨な状態だったと思います。

地震が起こったその時刻、もちろん深い眠りの中です。自宅は木造一軒家。2階で母と私、別々の部屋で就寝していました。父は夜勤仕事の為いませんでした。
私は地震という事がわかりませんでした。寝ていてわからなかったのでは無く、何が起こっているのかわかりませんでした。経験した事の無い激しい揺れ。寝ている体が自分の意志とは関係なく揺さぶられます。木造のきしむギーギーという凄い音。家が潰れるのではないかと思いました。
私の中で地震というのはぐらぐらっとくる・・・これが私の地震です。ちょっと電気が揺れる位の。この時間寝ている人は多く、地震というよりは爆弾かミサイルが落ちたのでは?と思った人が多かったようです。

揺れがマシになった瞬間、一気に起き隣の母の部屋へ。お母さん!大丈夫!!??母の部屋の本棚は倒れていましたが部屋が狭かった事(4畳半)が幸いし、向かいの壁にぶち当たってストップ。母は布団をかぶり丸くなっていました。その上に本が散乱。けれど本だけだったのでけがも無く助かりました。
母に後から聞いた話ですが母はそろそろ起きる時間だった為、すぐ地震という事がわかったとの事。それに桜島近くの出身で地震は数多く経験しているので、とっさに布団をかぶったとの事でした。

暗い部屋の中母とゆっくり階段をおりて1階へ。玄関の下駄箱の扉が開き物が散乱。靴やカサを避けて1階和室へ。
ん?何この臭い?ガス臭い。すぐ台所に行き窓を開けました。元栓は必ず締める家だったので元栓は締まっています。激しい揺れでガス管から漏れたのでしょうか?
その後すぐ玄関のサッシを開けようとしました。やはり簡単には開きません。少し曲がってしまったのでしょう。力いっぱい引っ張ると開きました。これで私の爪は一部剥がれましたが、その時は痛みなど気づきませんでした。
とにかくそんな場合じゃ無い・・・これは大変な事が起こったなと思いました。

部屋を見ると台所の隣の和室に台所用品が沢山散乱していました。鍋などが隣の部屋まで飛んでいました。もし起きていて、あそこにいたら間違いなくけがをしただろう・・・

自宅も周りも真っ暗。懐中電灯・・・タンスの中にありましたが電池が入っていません・・・我が家と一緒でこんな家庭が多かったようです。電池が入っていない。電池がつかない。タンスに入れていたがタンスが倒れた・・・使い物になりません。。。

寒い中外に出ると近所の方も沢山外に出ていました。みんなざわざわ。
周りは一軒家が多い地区で倒壊した家はありませんでしたが、古いアパートはかなりのダメージを受けみなさん学校に避難すると言って毛布をかぶり歩いて行かれました。
近くに高校があり体育館が避難場所になっていましたが、避難しようと行った体育館は入れ無かったとの事でした。決して新しい体育館では無かったのでガラスも割れ、かなり危険な状態だから避難所にはできないとの事でした。
この体育館は私の出身高校でした。地震の後、体育館は取り壊され校舎も建て替えとなりました。
避難場所だからと言って必ずしも安全な訳では無いな・・・と感じました。

夜明け前という事で少しづつ朝日がさしてきました。明かりがあるだけでどれだけ安心できるでしょう。暗闇というのはほんとに不安を大きくします。

リンリン~電話です。大阪に仕事に行っている父からでした。だいぶ揺れたけど大丈夫か?
うん、いろいろひっくり返っているけど大丈夫よ。そんな会話だったと思います。それから2日父は電車が動かない為会社に足止め。母と私の女二人、とても心細かった事を思い出します。
父が大阪から神戸方面へ電車で帰宅する時、一駅一駅神戸方向に向かう度に、被害が酷くなっていく風景を見て、大丈夫と言っていたがほんとに我が家は大丈夫だろうか?と心配になったと言っていました。大阪でもかなり揺れたけどこんなに酷いとは思わなかった・・・と。

リンリン~私の彼氏から電話。現在の主人です。大阪に住まいのある主人が心配して電話してくれました。その後少し時間が経つにつれて電話は普通になったようでした。

続いて、ガラガラ~玄関のサッシが開きました。市内に嫁いだ姉でした。
大丈夫?良かった。うちも大丈夫。でも食器棚の上に置いてあったお酒類が全部落ちて、割れて部屋中お酒臭くて大変!!(お酒を上の方に置いている方は下に下ろして下さいね・・・ )

開き戸の食器棚のある家はほとんどの食器が落下し割れたらしいです。部屋中ガラスだらけ。これで足をけがされた方も多かったようです。
どうしてかと言うと・・・開き戸は横揺れの場合あっという間に扉が開きます。また食器などが扉にぶつかり重みで開くというのもあるのかもしれません。扉が開くと当然のように、次は食器棚が倒れます。だから、扉が開かない事は転倒を防ぐ事にもなりとても大切な事です。
我が家は古いタイプで引き戸タイプでした。全ての食器が引き戸のところでストップ。数個割れただけでした。

そうだ、私の会社に電話しなければ。無事を知らせる。
会社は大阪市内テナントビル(6階)。会社は大丈夫だがロッカーの棚やファイルが全部飛び出したとの事。またその力によってロッカーそのものも一部転倒した。人がいたらきっとけがをしただろう。もしかしてあの時刻じゃなかったら、もっと恐ろしい事になっていたのかも。。。

リンリン~母の兄弟から電話。同じ市内に住んでいる一人暮らしの母の姉。家が全壊したとの事。梁が落ちてきたがちょうど隙間に寝ていて、助かったとの事。ほんと良かった。
このおばさんは震災後しばらく仮設住宅に住んでいました。
おばさんの家はいわゆる昔の長屋でした。築年数もかなり古い。でも2階が無かった。平屋建て。きっと2階建てのアパートだったら助からなかっただろうと思う。
神戸では1階と2階で生死を分けたケースが多かった・・・
おばさんは一人暮らし。おじさんは数年前に亡くなって、子供達は独立している。長い間住み慣れた自宅だったので、近所付き合いもあった。
おばさんは家の中で動けなかったらしい・・・外から呼びかける声が・・・近所の人が一人暮らしであるおばさんを思い出してくれ、助け出してくれた。大きなケガもなかった。

数日して母がおばさんの家に荷物を運び出すために行った。部屋の真中にどーんと丸太のような梁が落ちていて、生きているのが不思議と言っていた。玄関付近だけがしっかり残っていたが、その他はもう崩れる寸前だったらしい。荷物を運び出す作業もとても怖かったと母は言っていた。


余震、その度にまた凄い揺れがくるかもという不安。ほんとに怖かった。えたいの知れない物への恐怖。

とにかく、母と二人で部屋の片付けをはじめる。幸い、大きな家具は転倒しなかった。置いていた方向が良かったみたい。市内でもタンスが倒れた家庭も多かった。とっても大きい、とっても重い洋服ダンスが斜めになって移動していたのには驚いたが・・・地震って凄い力。
2階の角にあった物置の壁がずれて空が見えていた。まあここなら生活にも支障ないな。家の見た目も一部壁の崩落とひびくらいだし、多少ひずんでるだろうけど大丈夫かな??

当然、電気、ガス、水道のライフラインはストップ。こんな生活は初めて経験する。どうなるのか想像すらできない。母と二人ぼーっとしていた。何をすればいいのか・・・初めての経験で思いつかなかった。

近所からコープが開いているらしいよ・・・と情報。我が家は食べ物の買い置きが無かった。もともとあまり買いだめしない主義の母。缶詰さえあまり無く・・・食べる物無いやん。
早速、私はひとり自転車に乗って20分、急いで買い物に行った。何でもいいから買おう。お店の配慮で全食品が無造作に出されていた。私も含めみんなが目の色を変えてカゴに入れる。とにかく買わなければ・・・切迫した状態。だいぶ商品も売り切れ、カップラーメンしか無かったが買って帰った。

電気はどれくらいだったか忘れたがかなり早く復旧した。テレビをつけてニュースを見る。まだあの神戸の悲惨な状態は放送されていなかった。その後テレビは突然つかなくなった。地震の揺れでどうにかなってしまったのだろう。心細い上にテレビもつかず・・・これだけでもっと心細くなった。押し入れにあった昔ながらのカセットデッキでラジオを聞く事にした。

水が出ない。トイレも困るな・・・近所のお庭の水道は水圧が低くちょろちょろ出ていた。お水を取らせてもらいとても助かった。

リンリン~彼氏(主人)からだ。今、車でお水を買って向かっていたけど、大渋滞で行けそうに無い。原付バイクで出直すと。
私は危ないからとにかく家に帰ってと頼んだ。また大地震が来て巻き込まれでもしたら・・・
翌日、大きなリックサックに水のペットボトルを担いで原付バイクで来てくれた。嬉しかった。
その後被害の酷い隣町の友人宅に行った。水汲みを手伝ったらしい。
こんな時、車は大渋滞。まったく役に立たない。原付バイク、自転車が大活躍する。

ガスも続いて普及した。翌日だったと思う。かなり早い方。
水道は最後になったがそれでも3日ほどで復旧した。給水車が公園に来るという情報。母が水を貰って来ると言って自転車に一番大きな鍋をつんで出掛けた。給水車に並ぶ列はかなり長かったようだが、母の持って帰った水は鍋一杯。若いお兄ちゃんに笑われたとか・・・おばちゃんそれに入れるの??我が家にはタンクが無かった。入れ物が無いと水も貰えない。(タンク買いましょう・・・)
給水車はどこに来るかというと・・・避難場所や地区の大きな公園などです。家の近所とは限りません。私の実家には車がありませんでした。もし、タンクがあっても自転車ではちょっと難しいです。お水は凄く重いです。普段持つことなんてありませんが・・・

遠くの身内より近くの他人と言うように、災害の場合はお友達やご近所に頼るしかありません。そのために・・・という事では無く、日頃から人と関わることを負担に思わないようにした方がいいかなと思います。

夜になると暗い事もあってか不安で眠れない。余震がくる。怖い。しばらく恐怖感がありあまり眠れなかった。

3日目から会社に行った。大阪に出ると何もなかったよう。でもリックを背負っている沢山の人が神戸方面に向かっていた。
会社からは沢山の救援物資を頂いた。翌日には自宅まで届けてくれた。
会社に行くとみんなが無事で生きている事にほんとに感謝した。その後も全国各地の支店から義援金や物資を頂いて、ほんとに心強かった。
会社の寮も全壊したり、社内でも大きな被害にあわれた方もいたが会社が住宅なども早い時期に用意し、こういう時会社がしっかりしているとほんとに助かると思った。
全国的に支店があった事や、私の勤めていた支店の従業員の半分くらいは大阪に住んでいて、被害が少なかったからだと思う。
会社も従業員も全て被災した場合は、自分でなにもかもするしかない・・・
阪神大震災後、会社から防災リックが支給された。いつも職場の机の下に置いておくようにとの指示だった。


私の住んでいる街と隣の街には大きな河が流れていた。河を越えると被災状況もまったく違った。隣町は亡くなった方もかなり多かった。あの河一本で地震のエネルギーが違ったと言っていた。隣町はライフラインの復旧も月単位だったように思う。少しの距離で被害はまったく違った。



私が見たもの、耳にした事。
友人のお母さんは倒れてきたタンスで頭にけが。急いで病院に行ったらしい。けれどけが人が多すぎて頭が切れたくらいでは見て貰えなかったらしい。非常事態の時はできる限り自分達で対応しなくてはならないなと感じた。

古い木造住宅の被害はかなり大きかった。私の住んでいた被害の少ない街でさえ、昔からあるアパート、文化住宅は全壊が多かった。
それでも神戸よりも全壊の程度が違った。神戸ではぺちゃんこで屋根しか無い状態だったが、私の街の全壊はまだ人が助かるくらいの隙間が残っていて命は助かった人が多かった。2階建ての場合は1階が潰れ、2階が1階になっていた。
木造の一戸建てで1階が駐車場、その上に部屋があって2階を柱で支えているタイプの住宅は、柱が曲がったり折れたりして家が傾いていた。やっぱり壁で支える事に比べて柱は弱いと感じた。
またマンションでも1階が駐車場で柱で支えられているマンションは、柱が曲がったり折れていた。1階駐車場が潰れ、車の上にマンションが乗っていた。

山や川が近くにある住宅は被害が大きかった。かと思えばこちらは被害が多くて、こちらは被害が少ないなど地震の伝わる力が山や川で変わってしまうのか、近所なのに被害がまったく違う所があった。

被害の多かった地域でも、新しいマンションに住んでいた人はマンション自体は大丈夫だったが、ライフラインはなかなか復旧せず、マンションの5階以上に住んでいるとエレベーターは動かないし、それでも食料や重たい水(水道復旧最長90日)を運ばなければならず、生活が難しい状況が長く続いた。ライフラインの早い復旧は大事だと感じた。
都市部で災害が起こった場合、高層住宅などどうなるんだろうと思ってしまう。安全性を考えるとエレベーターはしばらく動かないだろうし・・・


家、食料、電気、ガス、水道がある当たり前の日常生活。そんな生活に慣れてしまっている。
突然振りかかった災害。非日常。この非日常が日常になった時の大変さ。
なんて普段の生活が恵まれているのだろう・・・そんな事を考えさせられた。
命が助かっただけで有難い。あんな大地震だったのだから。
でも人間は時間が経つと忘れてしまう。私もその一人。突然やってくる災害に備えておかなくては・・・そう思い直した。
     
息子が大きくなったら阪神大震災の事を話そうと思う。
もしかしたら、私達夫婦も生きている間にもう一度くらい大地震を経験するかもしれないけれど、これから生きていく息子は間違いなく・・・経験する確率の方が高い。
できればこのような大地震がもう来ない事を祈る・・・


http://hiyoko-ikuato.lolipop.jp/daizisinn5.html



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