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車のドアは水圧で開かない

 に乗ったまま、津波に巻き込まれ命を落とした人も数多い。宮城県気仙沼市の消防団員・菅原寿則さん(41歳)の話をきこう。

「地震直後に海岸まで行き水門を閉め、マイクで『危険ですから高台に避難してください』と叫んでいました。他人を誘導していたくせに、津波への危機感が足りなかった。川が見る間に溢れて、慌ててに戻ったんです。今考えると自殺行為でした。乗り込んでキーを回し、バックさせて発進しようと思ったら、すでに水に囲まれていた。そのまま流されて、ハンドル切ってもアクセル踏んでもどうしようもない。逃げようとドアを力一杯押しても水圧で開かない。もう、恐怖に潰されそうだった。



瓦礫だけが広がる町で遺体の収容作業が粛々と進められていた。大船渡市
 その時、何かがぶつかったのか、助手席の窓がガシャンと割れた。大量の水が入ってきたけど、無我夢中でそこから這い出すことができたんです。軽自動だから狭い窓だけど、どうやって出たのか、もう思い出せんね。の上に乗り、横を流れる家の屋根に飛び移った。

 四つん這いになってしがみついたよ。一面洪水の状態で、助かるためには山に流されるしかない。無意識に『山へ、山へ!』って大声で叫んでました。願いが通じて山に流され、杉の木にしがみつき、枝から枝を猿みたいに伝って高台に避難しました」

 彼とは別に「パワーウィンドウは開かないけど、手動でクルクル回す窓だったから開いた。古いに乗ってて良かった」と語る生還者もいた。生死の境は、かくも微細なところに宿る。

 船が無惨に陸に横たわる光景が、テレビでも数え切れないほど流れた。津波の時、「船を沖に出す」のは漁村の常識だという。だが、そんな時間もない漁師がほとんどだった。

 岩手県山田町の平野正雄さん(63歳)が語る。

「朝から漁をして、岸壁に船を着けたかどうかの時に地震があった。サイレンが鳴って『津波が来る』という無線も入ったので、船を出さねば、と慌てた。

 仲間4人を集め、沖に向けて進み始めた瞬間、海がモコモコと盛り上がって押し寄せてきたんだ。船は木の葉のように揉まれ、湾の中をグルグル回った。

 海のことは知りつくしてるつもりだったが、俺の経験がまったく通じない波に初めて遭った。波を読んでエンジンを開いたり緩めたりしながら、なんとか沖を目指した。振り返ると、浜に津波が襲いかかるのが見えた。ドーン、ドーンと音がして、家が崩れて煙が舞い上がった。ただこっちも必死だから、とにかく沖に出なきゃいけない。なんとか落ち着いた頃には、もう浜が見えなくなっていた」

 津波警報が出ている間は浜には戻れない。結局、船上で夜を明かし、翌朝9時に港に戻った。

「集落が消えていた。防潮堤がサイコロみたいに寸断されていた。何人もの漁師が行方不明になった。港は壊滅だ。ただでさえ後継者がいないのに、網も流され、漁はもうできねえ。でも、助かっただけでありがたいと思うしかない」

 これまでの談話にもあったが、三陸沖の人々にとって津波は「身近」な存在だった。古くは明治29年の三陸大津波。そして昭和8年3月3日、3000人以上の命を奪った昭和三陸大津波。三陸の小中学校では3月3日に避難訓練を行うところが多い。

 今回、この身近さが仇となった側面がある。前出の大倉さんが振り返る。

「小さい頃から、『地震が来たら山に逃げろ』って、耳にタコができるほど親や祖父母に言われてきた。我々のようなハマの者にとって地震=津波というのは常識なんです。だから、堤防も補強してある。

 実はあの大地震の2日前にも地震と津波があった。津波は20~30cmだった。あれがよくなかったな。11日も、『揺れは大きいけどせいぜい1mか2mだろう。それなら大丈夫だ』と高をくくった奴は多かったと思うよ」

 なぜなら、大倉さんの住む宮古には「自慢の堤防」があったからだ。

 昭和三陸大津波の教訓を活かし、宮古では住民の寄付を募って防波堤を造ることにした。少しずつ建て増しをしていき、昭和53年には、港をすっぽりと覆う総延長2433m、高さ10mの日本一の防波堤が完成。その町の地名をとって「田老万里の長城」と呼ばれ、スマトラ沖地震後には各国から視察団が訪れた。住民たちは誇らしく思った。

 大津波はその誇りもろとも、宮古の人々の命をあっけなく流し去った。

「昭和35年のチリ地震でも、田老の長城はビクともしなかった。私たちは『絶対に大丈夫。この堤防が越されるわけがない』と思っていた。今思えば安心しきって逃げない人がいたことが、被害の拡大につながったと思います」(地元消防団の佐藤勝行氏)

 最近は三陸大津波やチリ地震を知らない若者も増えていた。佐藤氏が続ける。

「彼らは堤防の外、海側に家を建てるんです。地価が安いからでしょうね。宮古市も宮古市でなぜか建築許可を出してしまい、最近では50軒以上の民家がありました。そこは跡形もない更地になりました・・・」


http://gendai.ismedia.jp/articles/print/2322


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俊足自慢も津波に勝てず

 一瞬にしてすべてが失われた。財産も家もも船も、多くの命までも・・・。突如として牙を剥いた自然の猛威に、人間はなすすべもなく惑い、泣いた。しかし我々は、このまま負けるわけにはいかない。


俊足自慢も津波に勝てず

 最も激しい被害を受けた街のひとつ、岩手県陸前高田市。避難所となった小学校の校庭から、惚けたように海を眺めている女性がいた。顔も腕も傷だらけだ。

「地震がきた時、私は父親のオムツを買うためスーパーにいました。あまりの揺れの大きさに、買い物袋を放り出してに乗り、逃げようとしました。『津波が来るぞー!』という叫び声が聞こえました。道路に出るとが渋滞して動けない。降りて前のを覗くと、誰も乗ってなかった。

 その時、背後から音がしたんです。これまで聞いたことのない、ゴウォォーという地鳴りのような音でした。振り返ると、スーパーの先のホテルが津波にのみ込まれるのが見えた。誰かに『逃げろっ!』と言われて、我に返って高台に走りました。水がどんどん迫ってきて、気づいたら腰の高さで、次の瞬間、私は津波にのまれていました」

 意識を回復したのは、民家の屋根の上。全身ずぶ濡れだった。

「目と鼻の先にあるはずの父親の家が、なかった。中には父と犬がいた。知らない人に救助された時、初めて脚から出血していることに気づいた。夫とも連絡がつきません。職場の人にきいてもわからないって。どこかで寒くて震えているのでしょうか。私はどうしたらいいのでしょうか。悲しいはずなのに、気持ちが昂ぶって悲しみさえ感じられないのです。夫も父も小太郎(犬)も、みんないなくなってしまった」

 同じ陸前高田で、手をつないで歩く兄妹がいた。瓦礫の中、あちこちでしゃがみ込み、土を掘り起こす。兄は10歳くらいか。動きは緩慢で顔にも生気がない。

「お母さんを捜しています。どこにいるのかわかりません。たぶん、このあたりだと思うんです」

 人々の命を奪ったのは地震そのものではない。津波だ。現場に立つと、それが痛いほどわかる。海沿いのエリアは更地に。海から少し離れると、ヘドロまみれの瓦礫とと船。そして視線を丘の上に向けると---そこには平時と変わらず整然と住宅が並んでいる。

 わずか数百mの差が天国と地獄を分ける。それが津波災害なのだ。

 逆に言えば、九死に一生を得た人は皆、「津波から逃げ切った人」だった。その決死の逃走劇を、いくつかここに記しておこう。

「津波に追っかけられて、こりゃダメだ、と覚悟しました。あんな恐怖生まれて初めてだった」

 そう語るのは岩手県宮古市の大倉豊一さん(53歳)。地震が起きた時は、堤防から200mほど離れた自宅にいた。

「これまで津波警報が出てもせいぜい1mだったから大丈夫だろう、と堤防に向かった。そしたらどデカい津波が沖からやってくるのが見えた。堤防には他にも人がいたけど、クモの子散らすように逃げ出した。今もサッカーやってて脚には自信がある。でもその脚が震えてしまって自分の脚じゃないみたいだった。

 堤防を軽々と越えて、津波が追っかけてきた。全速力でダッシュしても波のほうが速い。追いつかれる、もうダメだ! と思った瞬間、自宅へと曲がる横道が見えたので夢中で駆け込んだ。そしたら、ゴワーッて音立てて水が大通りを流れてったんだ。横道に水が入ってくるまで、たぶん数秒だけど時間があった。そのスキに家に飛び込み、2階に駆け上がったんだ」

 助かった今だからこそ、「津波にフェイントかけたったよ」と笑うが、あと数秒、いや1秒曲がるのが遅ければ、大倉さんはここにいなかった。


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車が波に乗り、サーフィンをしているような状態でした

 地震発生後、に乗り、仙台港近くの取引先から白石市の会社に戻る途中で、津波に遭いました。場所は仙台市若林区荒浜の県道塩釜亘理線。海側の約200メートル先に真っ黒い煙のようなものが見え、最初は火事だと思いました。
 でもよく見たら、黒いものは帯状に広がり、丸太や屋根、がれきなどが巻き上げられていて、津波だと分かりました。津波は田んぼの中を時速30~40キロくらいの速さで襲ってきました。
 県道は渋滞でした。たまたま内陸部に向かうあぜ道があり、ハンドルを切りました。十数秒後にバックミラーで確認すると、高さ2メートルくらいの津波が県道のをのみ込みました。が波に乗り、サーフィンをしているような状態でした。
 津波の直前、避難を呼び掛ける防災広報が聞こえました。でも、県道沿いのコンビニエンスストアには10人弱の客が残ったまま。逃げる途中、海の方に行く7、8台のとすれ違いました。手でバツ印を示したのですが、行ってしまいました。
 私は仙台東部道路の下を抜け、国道4号から自宅に戻りました。当時は逃げることで必死でした。後でテレビで津波の映像を見て、初めて恐怖を感じました。


2011年07月16日土曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1074/20110716_01.htm


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