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【3.11 impact】 津波をなめていた町民たち

あの揺れで津波が来ないわけない。

一体何分つづいたんだろう…。

パスポートを受け取りに行こうと部屋を出た瞬間、奇妙な地鳴りがして、小さく床を下から叩きあげるような音が始まった。
音の正体を確認しようと動きを止めて間もなくFOMAの警報が騒ぎ出した。初めて聴いた。
同時に恐ろしく早いスピードで、下から巨大なハンマーで叩きあげられた。
ダダダダダダダダダ!
まずい!
とっさに外に飛び出した。絶対に家が潰れると思ったからだ。高い建物も看板も電柱も無い。家の中より安全だ。
庭に立つと世界中に凄い音が鳴り響いていた。宮城県沖地震とは全く違う。あの時はこの広い庭が波打っていた。今回は違う。全部が上下に動いていた。
親父を探しに行かなきゃ。ところがあまりに揺れが大きすぎて動けない。下手に動いて家の横を通る時、崩れた何かが落ちてくるかも知れなかった。
とにかく揺れが収まるまで少し待とう。
なのに止まらない。むしろどんどん強くなっていく。

それがピタっと止んだ。

そのすきにトランクにノートパソコンをつっこみショルダーバッグを背負い台所に走り込むと、親父のカード類の入った袋をひっつかみ、又始まった揺れの中を外に飛び出した。いつでも東京に戻れるように、自分の物に関しては荷物のうちの大事なものは常にバッグに入れたままにしてあったのが幸いした。

ガガガガと音を立てて揺れる周囲を見ながら親父がどこにいったか考えた。
探しに行こうにも散歩コースをいくつも持っている人だ。
すれ違うわけにいかない。仕方ない、門の前で待っていると、又揺れが来た。
ようやっと向こうから親父がヨタヨタ歩いてくる。
足も悪いが重ねて地面に揺られながら歩いてくる。急いで家に戻ろうとして我慢できなかったのかズボンが濡れていた。
どこのタイミングで津波警報が鳴り響いたか覚えていないが、数メートルの津波が来ると確かにアナウンスが騒ぎ立てていた。
この揺れで津波が来ないわけが無い。

止めても門から階段を下りて玄関へ向かおうとする親父。
家の中は散らかってるから入れないといってもどうしても家の中が見たいと聴かない。
やむなく家に入らせると、今度はズボンを履き変えたいと言い出す。
たしかに濡れたままでは・・・。
親父の部屋に走り込んで別のズボンを取ってくると庭で履き変えさせた。

急がせたいが

「大丈夫だ。ここまで津波はこね~よ。」

と笑っている。

とにかく老人の着替えは時間がかかるが警報から実際の津波到着までは時間があるはずだ。

その間に近所を回ると、やはりみんな残っている。親父と同じだ。

「チリ津波でもここまでは来なかったから、俺はいかねーよ。」

チリ津波(1960年)以前にも、昭和三陸津波(1933年)、明治三陸津波(1896年)3度にわたってこの三陸は津波に襲われている。
彼らはその体験者ではあるが、これらの時とは地形そのものが変わっているし、チリ津波などは地震もなかったし、津波そのもが押し寄せたのは数日後だ。
条件が違っている。
何より、震源地はこの町の沖なんだ。

いくら説得しても一組だけは動こうとしない。

「とにかく逃げられる人は今逃げっぺし!早ぐ!」

呼びかけるだけ呼びかけて急いで親父のところへ戻ると、ようやっとズボンをはき替え終わるところだった。

「早ぐ履いて!」
「大丈夫だあよ。なあに、こねーよここまでは。」

実はこの辺の人たち全ては非常に簡単で大きすぎる検討違いをしていた。

我が家の前の道路は小高い。そして向かって左側にはなだらかな坂を作っていたし、右側は平らで20m先でまた坂を成している。
だからここまで波が上がるなら山田は全滅すると言われて疑いもせずに育った。

ところがだ、道路は高いものの、実は我が家を含めて近所はみな更にそこから1m以上も下に1階と玄関を作っていることに留意していなかった。
道路の位置が高いというイメージだけで安心しきっていたのだ。道路から見ると地下に位置する場所が一階なのだ。
この数十年間、誰もそこに留意していなかったことだって今にしてみれば驚きだ。
いや、留意しなかったのではなく、気づいていてもこの二つが今一つリンクしていなかったというのが正しい。

違う!ここは低いじゃねーか!とやっと本気で気づいた。

我が家の玄関も門から階段を下りて、やはり1m以上下にあった。

「そうかも知れねーげど、地震がおっきすぎっからさ。ここ高ぐねーよ、考えだら。」
「大丈夫だってば。」
笑っている。

「ああ、もう!いいがら、早ぐ!」

そして・・・

今まで一生の内で一度も聴いたことのない音が後頭部の上辺りから聴こえて来た。
キャタピラの動くような、ガラガラ、ゴソゴソ、どどどどど、ごごごごごご、そして波の音などが全部入り混じった不可思議な大きな音が近づいてきた。

「・・・・?」

どんどん近づいてくる。すぐに悟った。

「来た!津波が来た!父さん、早ぐ!急いで!」

おぶるより自力で歩かせた方が絶対に早かった。
手すりにつかまり、不自由な足を動かす親父を軽く押しながらやっとこさ道路に上がった時だ。
左手坂下の角を木材やらゴミの山みたいなものが音を立てて横に流れ出てきたかと思うと、そのままの形状で坂をこちらへ上り始めた。
この時はこの移動するゴミの山がなんなのか見当もついていなかった。

親父はと言えばどうパニクッたのか坂を下ろうとし始めていた。
いや、実際には向かってくる波を見た衝撃で足がすくんだに違いない。
偶然体は波に向いていたから、歩こうとすると波へ向かってしまったみたいだ。
多分、こうして呑みこまれる人もいるに違いない。

「父さん、違う。こっち!」

体こと回転させ、少しでも小高い向かいの駐車場へ押し上げた。
ヨタヨタと短い階段をのぼりかけた途端。

「ここまで来れば大丈夫だべ。」

突然あきらめようとした。
全く、こんな時の老人の判断には驚かされる。なにかが抜け落ちる。油断できない。

「だめだって!上がって!波が来る!」

わずか一人しか通れないような狭い階段だ。
大体にしてここじゃ低すぎるんじゃないか。
この駐車場は墓山の真下にあり、壁伝いに駆け上がれば、一番近い墓所まで走り込める。
かといってそこへ駆けのぼる力は親父にない。
とにかく親父を押し上げた。
正直「俺は間に合わない・・・終わりかな。」と思っていた。

だが、ここで波は止まった。周囲わずか5~6メートルの範囲で止まった。

波の侵攻が止まったことに気づいたのは自分も駐車場に上り切ったときだった。

ゆっくりと瓦礫を残して波が引き始めた。
引いていく波をそろりそろりと追いかける人たち。
どこからどう押し流してきたのか、おびただしい数の瓦礫、ゴミの山。


そして、遠くに立ち上る煙・・・。
これがあの町を焼き尽くした炎の初めだった。

一度家をのぞきに戻った。もう散々だった。
台所や廊下にあった一人二人じゃ動かせない棚類、冷蔵庫、食器棚、全てが字のごとくひっくり返ったり、天地がさかさまだったり。引き出しは全て開け放され、高価な陶器類は全て粉々に砕け散っていた。
洗面所には、裏口のドアを突き破って入って来たプロパンガスのボンベが転がっている。
我が家ではガスは使わない。
一階全てが同じ状態。定位置に収まっている畳なんか一枚もなかった。
Jと姉が小さい頃から使っていたアップライトピアノは斜めに倒れ、妹のセミグランドピアノは足まで浸かった感じだが、多分浮き上がったからだろう、本来なら壁についた波の高さまで浸かるはずだが、濡れていなかった。
いずれにせよ、どちらのピアノももう使えない。

お袋が描き遺した200点以上の作品は全部一階にあったから全滅だろう。

玄関の戸は完全に外れてその辺に転んでいた。

俺の部屋も全て泥まみれ。
キーボードもぐしゃぐしゃに濡れていた。
実は飛び出る時、あの重さのキーボードを一人で二階に運び込む余裕はないように思われたからせめて座布団を乗せて落下物に備えはしたのだが、それごとずぶ濡れだ。

なんとか部屋の中からJのへそくりを見つけ出した。
これから必ず必要になる。逃げる時はそこまで頭が回っていなかった。
だからこれもずぶ濡れ。
後々、避難所のエタノールを使って一部は消毒再生した。


揺れは断続的に続いていた。

又、少し大きめの揺れが始まったので、すぐに部屋を飛び出した。
庭の木々には沢山の紙クズやら、布やらが海草のようにぶら下がり、水天宮の祠は後ろから柱やらタンスやらの残骸に押し倒されていた。
小さいとは言え、一人では戻せない。
裏道路側には残骸が山積みになっているし、古い物置も戸が壊され中身が全部むき出し。
良く見るともう一本ガスボンベが転がっていた。


駐車場に向かった。

やがて、にわかに逃げた人たちの中から声が出始めた。
「おばあちゃんば残してきてしまった・・・。」
家を訊いてもとりとめが無い。

「三郎さんが寝たきりだったのを置いできたあ。」
ヘルパーが泣きながら言った。○○さんの家は知っていた。

第3波の警報が鳴った。

まだ間に合う!先ほどの波とは反対側へ走り出した。
この時瓦礫を飛び越しながら、考えてもいなかった。反対側からも波は押し寄せてきていたのだ。
親父を方向転換させた時、実は津波に挟まれていたのだった。

この近隣の道路ではこの場所、寺小路が一番高い。我が家の門前が最も高い道路、と言うことになる。ここ中心に、更にもう一本下り坂になっているY字路だ。

「ここまで津波が上がるなら山田は全滅だ。」

よくぞ言ってくれた。上がって来たぜ。

ただ、確かに止まった。頂上前で止まった。ここを乗り越えてくる波ならばもう一本の下り坂へなだれ込んだはずだ。もしそうなっていれば被害はもっと大きかったろうし、多分俺たちも呑まれていたろう・・・。

とにかく今は三郎さん宅へ走った。
着くと寝たきりの三郎さんは奥さんに支えられて家の中で、溢れるように引いていく水の中に震えながら下着のまま立っていた。
急がないと次の波が来る。
それにこのままじゃ冷え切ってしまう。待てなかった。まだ引き切らない水の中に走り込み、彼を支えるとやはり玄関前にある階段を上った。そう、この近辺は前述したとおり、ほとんどが道路下に土地を構えていた。
道路の上には数人待ち構えていてくれて、抱える役を交代してくれたのはいいし、方を貸したまではいいが、動かない足を無理やり引きずらせて瓦礫の中を歩かせようとしていた。
全く動かない足を3cmづつ
「よいしょ!よいしょ!」
あきれた菜っ葉の肥やしだ。
これじゃいくらも進めない。
「背負った方がいんじゃないですか?」といえば「そうだ、その方がいい!」とは言うものの、だれも背負おうとはしない。
なんでだ?
もう一度言った。「背負った方がいいんでは?」「そうだな。背負った方がいいかもしれね。」
だけど誰もしゃがまない。

なんだこいつら?

「もういい、俺がやる。」

背負うと、駐車場へ急いだ。

今、何故誰も手を出さなかった?
なんでみんなただ見てた?
俺よりはるかに若い奴らが、背負うのを躊躇して目をそらしたぞ?

駐車場に上がると、とりあえず草むらに三郎さんを横たえた。
やがて奥さんが車椅子を持ってきた。

親父がまたひょこひょこと駐車場から降りて来ていた。

「父さん、降りてくんなってば!戻って!動がないで!」

叱りつけながら、近所へ走った。まだ取り残されているはずだからだ。
さっきの話のおばあさんはどこの家か分からない。けれど、あそこにいたってことは近所のはずだ。

「誰かいますかあ。誰かいますかあ。」
「ここにいますう!誰かあ!助けてえ!」

案の定、声が聴こえた。隣の家だった。ドアはひっくり返った家具で開けられない。窓をむりやりこじ開けると、おばさんが閉じ込められていた。
「Jちゃん、助けてえ」
家の中で天井に届く水の中で浮かびながら耐えていたらしかった。
「おばちゃん!待って、今助けるから!」

近くで見守っていたいた人に役場の人を呼びに走ってもらった。
窓をこじ開けている間に役場の職員たちが到着して、数人で家の中から連れだした。
そのまま、おばさんを裸足のまま、一度我が家の玄関へ連れて行き、もうびしょ濡れでもいいから適当な靴を探して履かせた。
一度、我が家の様子を観に戻ると、ひょっこり親父が下りてきていた。
「おりでくんなって言ってんの!戻って!」
「だって、おめえ・・・」
「良いがら戻って!3波が来っから!」

駐車場のさらに一段50cmほど高いところに連れ戻して、再度近所へ走った。

又、声が聴こえる。見上げると別の家の二階の窓からおばあさんが

「ここ、ここ!」
と手を振っている。

壊れた一階の窓から入ると、階段はゴミで埋め尽くされていた。
ガラガラと足で全部払いのけ、はだしの彼女を二階から下りさせるが、裸足の彼女に階下は歩ける状態じゃない。
靴なんか見当たらない。
仕方ない、足を切りそうなものだけよけて裸足のままなんとか外へ出すと、我が家まで連れて行き、びしょ濡れのお袋が履いていた靴をはかせ、避難所へ急がせた。
途中、プレッシャーから彼女は大量に吐いた。

道路に戻ると消防団が、近くの消火栓にホースをつないでいるところだった。
「家の井戸も使ってください!少しでも使えるかも知れないから。」
と、案内するが、既に津波の汚水がどっぷり流れ込んだ後だった。
しかし水は使える。近所では最も深い井戸だ。
ふと気づくと・・・
又親父がそこにいる。
なんなんだこの人は!

「だぁからぁ、なんで降りてくんのよ!戻れって!」
「だって、おめえ・・・。」
「だってじゃねえ。戻って!」

追い返しながら門まであがると、避難所指定のコミュニティセンターまでの道から水は引いていた。
残骸やらゴミをしこたま残して・・・。
「コミュニティセンターまで行げるね?先に行ってで。」タオルケットを押入れの濡れていないところから引っ張り出すと持たせて先にやった。

もう一度近所へ戻る途中、役場で親父の介護担当をしてくれていた介護福祉士の女性に会う。
「無事だった?」
「それが、おじいちゃんとおばあちゃんを二階に残して・・・。」
「急がないと、次が来るよ。」
「とにかく様子を観に戻ります。」
「気をつけて。」

駐車場に戻ると奥さん、ヘルパーが三郎さんを乗せた車椅子を囲んでいた。
道は残骸がごった返していて車椅子が通れる状態じゃない。
仕方なく裏を遠回りしてコミュニティセンターまで引っ張っていった。
それでも狭い道があり、近所の人たちに手伝ってもらい持ちあげて運んだ。


センターには既に沢山の人が避難していて、近所の人たちもいたし、さきほどのおばさんや、おばあさんもいてくれた。
見知った人たちの生存は確認して、再度飛び出した。
介護福祉士さんの家へ急がなきゃ。

一度荒れた自室にもどり安い懐中電灯を拾い上げると、彼女の家に急いだ。
着いてみると、やはり一階はゴチャゴチャだ。
二階へあがると、彼女とその母、そして毛布にくるまって椅子に座ったおじいちゃんがいた。
薄暗がりなので懐中電灯を点けたが、すぐに消えてしまった・・・
潮水に浸かったせいだろう。
使えないなあ、もう・・・

座ったきり動こうとしないおじいちゃんを必死に説得する彼女。
揺れは断続的に続いている。
このままでは次の大きな揺れで崩れるかも知れない。
津波警報は鳴り続ける。
もう何波目かわからない。
3波目以降はさほどの津波ではないらしかった。
なんとかおじいちゃんを歩きださせると、さらに階段をゆっくり降り、家を出るまでは出た。
その後長く感じた瓦礫の中を10分以上かけて歩かせて道路へあがった。
普通ならば2分とかからない距離だ。
後は彼女に任せて、寝たきりのおばあちゃんを迎えに急いで戻ると、丁度彼女のお兄さんが駆け付けたところだった。
そこからは彼がおばあちゃんを背負い、後ろからJが支えてコミュニティセンターまで移動した。

走って戻った割には、大したことは何もしなかったな。
ただ、いただけだった。
家族が助け出すことができたんだからそれはそれでまあ、いいことだ。
この一家はみんな無事だったわけだから。


センターで飛び交う々言葉。

「まさか本当に来るとは思わなかった・・・。」
「チリ津波では来なかったのに・・・。」


もうすでに夜が来ていた。
タバコを吸って落ち着こうと外へ出た。
既に19:00をまわっていたろう。
オレンジに明るい空はすぐ下の家並みから始まっていた。


火事はすでに数ブロックを焼き進んでいたようだ。



役場の4Fには発電機で灯りをともした対策本部が設置されていた。
隣接するコミュニティセンターの2Fではストーブの前で津波の話が盛り上がる。
避難所はいくつかある。そして中心地の避難所は旧公民館を取り壊して作った小高い公園だ。
近隣の避難所の中では最も海岸に近い。
第一波でここにいた人たちは波が防波堤を越える様を目の当たりにした。

「ここでじゃ波が上がってくる!」

と第二波が来る前にコミュニティセンターに慌てて移動した。
この距離200m強。
だが、直線コースが実はない。
一度波の来る方へ向かって半旋回、つまり遠く回り込んで降りるしかない。
それからやっと、波を背にする方向へ走ることができる。
その距離は300mまで伸びてしまうことになる。
ややもすると移動の間に第二波が押し寄せる可能性は高かった。
実際に直面しないとこの土地設計の粗悪さはわからない。
結局、第二波はこの公園の縁まで上がった。
町の形状や建屋の材質が少し別だったらここも波に呑まれたわけだ。
もちろん例のごく、「ここまで波は上がらない」と思っていたわけだから、上がった後の逃げ道など考えているわけが無い。
勿論、海側から逃げてくるにはうまくいくのかも知れないが、ここを挟んで山側から逃げ上がるためには一度、波へ向かっていかなければここへは上がれないことになる。
どこからでも上がってこれる場所でない以上。避難所に適した場所で全くなかったことになる。


*               *               *

ストーブ前での被災会話に参加したことで、初めて自分が襲われたのが「第二波」だったことがわかった。
そういえば、波に襲われた直後、災害本部のスピーカーは「第三波」を警告していた。

我が家まで辿り着いた瓦礫の正体も明確になった。
海岸部の区画は南から境田町、川向町、中央町、北浜町、山田(町名と同名)と海沿いに並んでいる。
この町の中心は川向町から中央町にかけての商店街だった。
祭りには神輿が暴れ走る町だった。
第二波は全てを破壊し、その残骸が後方の長崎、八幡町、後楽町(Jの居住区)まで流れついた始末だ。
町役場は八幡町にあり後楽町と隣接している。
あのキャタピラのような音は、海岸部の建屋を次々となぎ倒し、その残骸で次の建屋を破壊し、それらをまとめて全部後方の区画に押し流してきた音だった。
流れ着いた中に遺体があったかどうか定かでない。
少なくとも我々の目には入らなかった。
しかし、この波の中にもまれていった人たちがいたことは確実だった。
海岸で岩の上に作られた「シーサイド」とサブ名を打った老人ホームは90%近くの入居者と所長を失った。

全滅した部落がいくつかあるという。
小谷鳥(こやどり)地区はその一つで、19tもの漁船が、傾きも、船底をかすりもせずに防波堤を超えてきた後、その内側に坐して今なおそのままだ。
田の浜地区は半壊滅。
織笠地区などは海抜が低いため水が引かず、什器の投入ができないらしい。
水の中に何人の遺体があるかは不明。
オランダ島(我々は大島と呼んでいる)という離れ島で、夏には巡航船が往来する海水浴場がある。
ここには多数の遺体が打ち上げられているそうだ。
山田町は漁業の町だ。
その経済を支えてきた一つ、牡蠣の養殖業。
牡蠣棚という「いかだ」状のものを無数に並べその下にぶら下がったロープに沢山の牡蠣を養殖していた。
整然と並べられていたこれらはごった換えし、今ここには牡蠣だけではなく人がぶら下がっている。
直下には泥から突き出た上半身。
右半身が欠如した誰か。
まだまだ無残な遺体が無数に回収されずそのままか、漂っている。
漁業には遠洋、近海、烏賊釣りなどいくつか種類があるが、その他にも定置網漁業がる。
もし牡蠣棚がこの状態ならば海岸の1km付近から罠を仕掛ける定置網漁業、この網にはどれくらいからまっているだろうか。
この近辺にある遺体はまだ「まし」かも知れない。
実際にこの引き波に持って行かれた木材は10km沖で見つかり、同時にそこで遺体も発見されている。
同様の行方不明者が何人いることか。
青森の船が茨城県沖で見つかるなどしたことを考えれば、流された人々も同じと考えられるだろう。
ともすればひと月の間に漂流物は30km沖まで流されるという。
ほぼ似たような状況が東日本沿岸全体に起こっていると考えて遠い見解ではないように思う。

遺体回収に関する現在作業は陸地を優先している。
腐食がはげしく、引き上げようとすると崩れてしまう可能性が高い。
今の季節ならば海水の温度は低く、保存状態をまだ少しの間は維持できることが理由らしい。
とはいえ、海底に転がる遺体に最初に群がるのは魚ではなく雲丹だそうだ。
雲丹は人の体に取り付きやすいらしく、瞬く間に食べられてしまうと、漁業関係の被災者は教えてくれた。

車で逃げたものの、何かを取りに戻った人たちが沢山流された。
警報を聞いても逃げずに呑まれた人たちが沢山いた。
逃げはしたもののゆっくり、ゆっくり歩いていた人たち。波は橋を越えてはるか上空から彼らにかぶさっていった。
何もかもみんな「ここまで波は来ない」と、津波をなめていた結果だ

海岸部に広がる町の中心部は全て海抜より少し高い程度。
どの建屋一つとして土台をせめて1M上げておこうと言う事をせずにいた。
もちろん1Mごときでは意味が無かったが、対策としては必要だった。

今回は世界に誇るいくつかの防波堤があっさり超えられるか、あるいは破壊された。
木造の建物は土台が残るのみ。コンクリートの建物は1階を全てもぬけの殻にされた。
そうだ、。
津波対策を全く考えずに4期も務めた町長を初め、町全体が津波をなめていた結果だ。
破壊された堤防は欠陥手抜き工事の可能性が高い。
折れた跡に残った支柱は直径1cmもない。小指ほどの枝がへし折られて並んでいるだけ。
何枚もの巨大な板が綺麗な切断面をあらわにして町方向に転がっている。まるで、セメダインの接着部からただ剥がれたような綺麗さだ。



もし防波堤が損壊しなければ波の力はもう幾分かは弱まっていただろう。
とはいえ、近隣の町に建てられた防波堤はいたるところで破壊されているから、これが直接の原因とは至極言い難い。
あくまでも推論の域を出ないが、現物を見るとやはりこの粗雑さに驚愕する。

話を火災に戻そう。
とにかく想像する限りの現状では消防車は一台たりとも通れないに違いないと勝手に考えていた。
突然、ガスボンベの爆発が始まった。キノコ状の炎がいくつも上がり始めた。
核戦争の映画でよく見る光景より、炎を直視するかぎり悪魔でも飛び出し来るかと思えるようだった。

しかし、なぜ自衛隊に消火要請しないのか全員が不思議だった。

次々にガスボンベが爆発している。
少し大きな爆発は車だということだった。
ラジオによると、東日本の太平洋岸全域が津波に呑まれたらしかったから、おそらく自衛隊はここまで手が回らないのだろうと勝手に良く解釈していた。

消防団はホースを3本用意した。
火災が役場のそばぎりぎりに来るまでスタンバイしている。
炎はついにそこまで来た。
「放水開始い!」
掛け声と共に放水が始まった。
巨大な火山にスポイトで抵抗しているようで滑稽だった。でも最初からダメとわかっていても戦おうとする消防団に涙さえ出た。
30分もずディーゼル発電機での放水は限界に達した。
後はもうただ眺めるだけ。

役場の最上階に上がった。
今どんな状況なのか、見てみたいと思った。
パノラマに展望できる窓に立った。
呆然とした。

「なんだよ、これ・・・。」

まるで映画で見る地獄の風景だった。オレンジに燃え盛る町が眼下に広がった。
あの一本の煙が、今や町を焼き尽くそうとしている。

「火事がとまんないね。そこまで来たよ。」

避難の部屋に戻りつぶやいたJの報告に、2Fでじっとしていたおばさんがあきれたように言った、

「山田ぁ全部焼ぐどこ?」

火事は山田町を全部焼くつもりなの?という意味の言葉がとても重く哀しく響いた。

少しの期待はしていた。
普通に交差する路地や道路が防火壁の代わりになるはずだった。
ところが、なんの衒いもなく火は広がっていく。
実は津波は多くの家を天地、方角さえもしっちゃかめっちゃかにして道路まで押し出していた。
更に海岸域からの材木の大群がある。
つまり、この津波の後、道路は最初から存在しなかったことになったのである。
期待は裏切られた。

繰り返しガスボンベが爆発する度、炎がキノコのように膨れ上がった。
火災が相当域に広がったある時、巨大な爆発とともにコミュニティセンターの分厚い窓が割れんばかりの音を立てた。
全員が驚いて首をすくめた。
高い場所に設置された窓の向こうに巨大なキノコ炎が見えた。
その大きな爆発はガソリンスタンドだった可能性がある。
後にその方角でもっとも爆発に近いと思われる場所に立った時、そう思った。

余震は相変わらず続いている。
ストーブの周りでは濡れた靴や靴下を乾かそうと人が集まっている。
既に毛布にくるまってパイプ椅子で寝ている人。
隅に集まって、一度戻って家から持ち出してきたお菓子を配る人。

やがて「缶づめパン」が「乾パン」として配られた。
高齢者たちは知っている「乾パン」じゃないので開けた時、不思議そうな顔をしていた。
役場の人たちはまさしく「乾パン」のつもりだったらしい。と言うより、物を理解していなかったようだ。

朝が来ても炎は続いていた。
見守るだけの人たちと消防団。
金網に肘をかけ、5メートルも無い程先で燃えている建屋を見つめている。



タバコを吸い、笑いながら
「次は俺ンちだな。」
「俺んちはなぐなったよ、さっき。」
「ここまでやられりゃ文句もでねーな。」
とか話している。

炎が町のあらかたを焼きつくして勢いが落ち着いた頃、やっと消防車が1台たどり着くと最後の1件の消火を急いだ。

その十数分後ではなかったか。
アナウンスが流れた。

「防災本部からご連絡いたします。ただいま、自衛隊に消火要請いたしました。」

・・・

え・・・今?

・・・

今まで・・・『要請していなかった』の?

なんで・・・?

電話が使えない?他に方法は?車は出せなかったの?
あの発電機はなんだった?

要請後、すぐに飛んできたヘリは2回空中散水して、別の方角へ向かった。
火は消えなかったが、出動はしてくれた。

だが・・・

どういうことだ?

この時点での電話などの通信手段の遮断、電気含めた他のライフライン、どれを取っても状況は震災直後と変化がないはず。
ということは今要請できたのなら、昨晩だってできたはずだ。
その逆も又、真だ。

ん?町長はどこにいた?

町長の認可が下りなければ要請できない手続きは理解できる。
逆に言うと町長がそこにいれば手続きは済んでいたはずだ。
更に、もしそうだとするならば、町長がいなければ緊急の要請さえもできない役場職員の体制、教育はどうなってるんだ?
この惨状をボケっと観ていたのか?
事実はわからないが、憶測ではそうなる。
一ヶ月経った今、町役場が全くまともに機能できていないことを考えると、遠からずはずれちゃいない気がする。


ともあれ火は消えた。


昼過にはコミュニティセンターから豊間根中学校への大移動が始まる。

http://ameblo.jp/jinguji/entry-10846587364.html
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テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~
ジャンル: その他

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