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「津波にのまれ九死に一生」

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模型工房YOUKI
http://www.youki-koubou.com/?p=55

助かった・・・・そう実感できたのが病院からの徒歩で帰宅途中高台からの騒然なわが街を一望した瞬間だった・・・・。

3月11日午後2時43分だったと思う・・・その揺れは起こった。
いつもの通り工房内で仕事中であった。いつもと違う揺れに右往左往するうちに、工房内は足の踏み場もなくなっていた。
注文いただいた主翼や胴体の造る途中の物が壊れていく様子を見ながら耐えた・・・
「工房がつぶれる・・・」と初めて思った・・・・。
約100秒間、横揺れの中でも和室を経て居間まで行き、壊れそうなテレビを手で押さえていた・・・・・今回はずいぶん長い・・・揺れが強くなり初めて「家がつぶれる・・・」と思い窓を開け外へ飛び出した。
近所の方々も外へ出ていた・・・

いろんなメディアで、「もう来る 来る・・・」と言われていた宮城県沖地震の再来と思える揺れであった。
揺れが収まってから、屋内の異常を確認するのに一回り観てまわりかびんが落ちたのやら食器棚から落ちたのを確認だけして余震を心配し、しばらく外で待機していた。
そこへ、留守中だったお向かいの奥さんが帰ってきた。
奥さんは自分の家の内部に悲鳴をあげながら散乱しているであろう内部を見て、すぐに外へ出てきた。
動揺した様子で近郊に住む孫の安否をしきりに気にしている様子であった。
タクシーでその娘のマンションへ向かうという・・・
こんな状態でタクシーなど来るわけがない。日頃良し身にしていただいているご近所さんの奥さんが少々パニクった様子で向かう方法をさがしていた・・・。
思えばこれが私の九死に一生体験の始まりだった・・・。

自分の家屋は無事だし、内部の散らかり様はあとでも片づけられると判断し、「乗せて行ってほしい・・・」と言わんばかりの目の訴えにホダされた。
助手席へ奥さんを乗せ、走り出したその場所までは20分もあれば行ける距離であった。
ラジオに聴き耳をたてると地震の情報を伝えている「震度6強」のアナウンスや「津波の恐れ・・・」を放送している・・・
私的にはいつものことである・・・2~3日前にも強い地震がありチョット慢性化していた・・あまくみていた・・・・放送では津波予想の高さが6mという経験のない今までとは違ったことにきがついたのは5分も走ったころのアナウンスであった。
いままではせいぜい1~2mが最大だったように記憶している。
もうもどれなかった・・・空いた道をスイスイ進み、予想通り20分近くで多賀城駅手前まで行ったところで高台方面への渋滞が見えた。
自分はそれへはまりたくないので砂押川多賀城駅前の橋の上でUターンを決め帰ると決断し奥さんを下した。
徒歩でその場所までは10分で行けるということだったのでこれで役目は果たし、自宅へ帰る道を走り出した。
が、海沿いから避難するの渋滞は、細い抜け道までも詰まった状態であり、自分もすぐに挟まってしまえばアウトと判断。
その場所から真直ぐ大きい道を帰ろうと決断し、あえて海方向へ800m走り、産業道路を左折、ソニーの前を通り七ヶ浜へ向かったのだが、砂押川念仏橋の手前で通行止めをくらい、誘導通りに川沿いの道へ促され渋滞へはまってしまった。
今思えばこの時点で津波到達5分前だった・・・・。
200mノロノロ走った交差点をあえてまた海へ向かい、別の大きい道をと走った。
産業道路の万代書店前まで来て右折して多賀城駅方面へ行けば高台へ上がれると判断したのである。
携帯のワンセグをハンドル前の用充電ホルダーへセットしながら、どこかの局の津波の映像が流れているのを見ながら走った//あせっていた。
なぜなら、最初の津波予想高さのアナウンスが6m、ラジオの情報が一変したのは奥さんを下す5分前のアナウンスであった。
予想津波高さが10mと変わったのである。
ラジオでは、「から出て高いところへ上がってください」のアナウンスをしきりに繰り返していた。ワンセグの映像はヘリ上空からの津波の映像を映し出しており、ふと前をみるとそれが現実になっていた・・・・・
ミスタードーナッツの交差点、海側からゴミとと瓦礫、ガスボンベ、そして人・・・
一気に私のへ押しかかった。
から出て走り出した人たちがずいぶん見えたが、一瞬にしてゴミの波に足をすくわれる人、孫を抱いて私の助手席側のサイドミラーにしがみつき必死にこらえている初老の男性、すべてのゴミの津波にのまれていく様子を目にした・・・・
出たら自分ものまれる・・・そう思った。
窓を締め切った車はほぼ垂直に立ったまま押し流されすぐに水に浮いた状態となり、車や物置・瓦礫とぶつからりあいながら流れた。
津波の先頭はこういったゴミの波であった。
何秒もしないうちに波に対して横になり廻り始めた車の車内から茶色の水中へ180度回転しながら流れた上下左右ゴミや水の中この時点で「もう駄目だ」と思った・・・・
こんな光景は海外のニュースで観た南の島の津波の映像だけしか見たことがなく、テレビ越しの映像でさえ絶句したのを覚えている。
そんな光景が現実になっていた。
この時点で窓を開けていたら一気に水が入って沈んだのだろう。
車内はグライダー曳航用のウインチ(1個30kg)を2個、それ用のバッテリー2個
送信機や工具箱、重量的には4人乗った状態の重量だったであろう。

くるまが重なって流されていた状態がガツンと止まった姿勢が運転席側が白く、上を向いたまま流れているのがわかった。

「出るしかない」・・そう判断し運転席側のドアーを押し上げた。すぐにステップへ立ち上がり飛び出すタイミングをはかっていた。
下流へ大型の保冷車が流れをせき止めているのが見え、それに向かって進んでいく・・・
下流側へ立っていったため挟まれると思えた。
大型車特有のアングルがついたバックミラーへすぐ手が届く状態になった。
ワイパーの軸へ無理やり足を引っ掛け、がむしゃらにはい上がっていた・・・・
屋根へ上がり、保冷庫のヘリを持ちながら当たりを見渡せる状態で待つことができた。
この車の運転手も、まだ運転席へ入ったままであった。
少しずつ水位を上げながら流れが緩やかになっていき上から見ても運転席シートの座席まで静が入っているのがわかった。
運転席にいた人へ声をかけた。「上がったほうが良いっすよ」
その声に即されたか、手荷物を屋根へ置き窓からはい上がってきた手をひっぱりあげ、2人で捕まった。
よく見ると、同じようなトラックが2台連なって助手席側が歩道の立木前で止まっている状況だった。
「のまれずに済んだ」我に返り廻りは一面海水、斜め向かいの「すき屋」の屋根からやく1mちょっとの下の部分まで海水があった。


そちらこちらでひめいが聞こえ、「助けてー」の声がいたるところで聞こえ始めた
自分の車10m右、中古車販売店の看板ポールへ必死にしがみつく初老の女性が今にも沈んでいく状態を必死に支える男性の光景がみえた。
後ろ向きのその女性は口まで沈み込み時折水中へ沈みブクブク音を立てて必死にもがいている状態だった。
車から10m、助けなくてはと思っている間もなく同じ屋根に上った男性がそのおばあちゃんへ向かって泳いでいた。
すぐに抑えて沈むのは免れたが、まだ流れがあり、上から1人のと水中の助けに入った男性とでは流れの中で支えることがこんな状態であったのはすぐに判った。
水中の男性の力では支えきれない状態なのはすぐに「手をかしてくれ~」の声でわかった。
正直、濡れたくはない・・・思う自分がいたが、その男性も顔半分沈みながらの救助風景を見過ごせなかった。
泳ぎ寄り、水中の2人で何とか近くのワゴン車の屋根へ押し上げることができた。
そしてすぐに2~3mの上流へしがみつく老婆も救助を求めていた。2人で泳ぎ寄りその女性も屋根へ上げ、またその奥の車のボンネットの上で流されようとする老婆を必死につかみながら励ます女の子からも救助を求められ、車づたいにゴミの水中をそちらへ向かい同じく敷地内のワゴン車の上へ2人とも上げた。自分も上がらねばと一度車の屋根へ上がりったが、奥の浮いた乗用車の屋根へ立ちながら難を逃れた女性が、沈みゆく自分の車から、隣のワゴン車へ飛び移ろうとスポーツカーの後部ウイングへ降り積もっていた雪へ足をかけた瞬間滑り水中へ落ちてしまった。
・・・・はい上がれる高さではなかった。
乗用車の後部とワゴン車の屋根とでなんとか腰までつかった状態で踏ん張っているが、持ちそうもない・・・
車へ上がっていた自分がその女子へは一番近い状態だったのでまた水中へ泳ぎだし沈んだ乗用車へ足をかけることができたので、隣の車の屋根へ1人で押し上げ助けることができた。
すぐに私も同じ屋根へはいあがり、なんとか水中から脱出はできた。
廻りは悲惨な状態であった。


看板へよじ登った男性2人・・・、まだ水中へつかったままの女性がいたり・・・、看板の鉄骨伝いに事務所の屋根へ移動し避難できた女の子と男性3名、隣の家屋の屋根へ上った男性2人・・・・
自分を含め19人いた。4人目の女性を上げた時点で水位は182cmの身長の私が歩道で立てない状態だった。
トラックの運転席のシートが濡れた状態だったから、道路は2mを超えていたであろうと思われる。

その状態で救助を待つこととなった。

夕方になり気温が下がり、雪もちらついてきた時間もあった。
全身ずぶぬれの体は車の屋根の上では体験したことのない震えが襲った。
日頃運動不足で「こむらがえり」を頻繁に起こす筋力がない私の脚力には、過酷なものとなり、硬直して立てないのが延々続く症状であった。
もう水中へは入れないと思ったのがそんな脚の状態の時であった。
同じく救助に入った運転手もその後2名の女性を助け上げ、1人は看板の上、水につからない状態まで押し上げ、もう一人は入口の鉄骨製の扉上へしがみついていた女性を老婆の車へ同じく押し上げていた。
その救助隊運転手(勝手にそう呼ぶが・・)は私より15は若いだろうと思える方だった。
夜になり気温が19名の体力を少しずつ奪っていくのがわかった・・・、看板へよじ登った男性+女性(40歳ごろ)が、手と足でつかまり立ちしている状態でもう6時間を過ぎた状態だった。何度も落ちそうになったのが目に入った。

支えの男性も「もう限界かも・・・」の声に同じ看板へしがみついていた男性が真下の赤い車へ降ろすべく救助へ向かい、なんとか女性を屋根へ降ろすことができた。

静寂の中で大きな爆発音とオレンジ色の明かりが夜空一面を照らしだした。
石油コンビナート方向であったため、タンクの爆発だろうと判断がついた。
マンションの東の壁を照らし出し、通路側のライトを照らしている方達の人数まではっきり見える明るさに照らし出していた。
中学生の女の子は車の上でしきりに救助を叫んでいる。
マンションからの「がんばれー」の励ます声も続いていた。

最初の自衛隊救助ボートが来たのは9時あたりだったと思う。
一番疲労の激しい老婆を救助、2車線の道路幅向のマンションへ汎送し戻るという。
2人をのせ2度目の救助までには30分がかかった。2人30分・・・・絶望した・・・
自分の救助する順番を見ると救助順番は老婆、女性、歳のとっている男性順が妥当であろう・・・・。
自分の時間は朝方になってしまうことも予想・・・「朝まで持つだろうか・・・」本気で思った。
体全体の震えは止まることなく横になっても続きている状態、体力も一度その上へ立った時に「歩けないな・・・」と思えた。
救助の時に暗闇の中あやまって誰かが水中へ落ちた・・・老婆かと思いまた水中へ入ってボートを支えてあげた。
これで温存した体力は完全に使い果たしたのを下半身の動かない状態で判断でき、水位が下がった状態からは、同じ車へははい上がれないことが容易に判った・・・。
その時点で水位は胸であったので立つことはできた・・・
「よし、風邪の当たらない車中へ行こう」寒さから逃げだしたい衝動へ駆られ、初めに上った冷凍車の運転席へ向かった。必死だったのだろう・・・無理と思っていた自分の足だが、水中のほうが体重が半減されたのか、なんとか前へ進むことができた。
石油まみれのゴミの水面をかき分け足を引きずりながら水中を進み、なんとか最終の冷凍車の運転席へたどり着いたが、ドアーロックがかかっているためか、開かなかった。
ガラスが下まで下がっていたので、タイヤへ足をかけ、よじ登りはい上がる格好で中へ入ることができた。
・・・最悪だった・・・たった15m水中の距離を歩いてきただけでまた震えが止まらず硬直した下半身は激痛の状態であった。
少しでも低温から逃れたい一心だったのだろうはいていたジーパンを脱いで素足の状態で少しでも体温を上げようとの試みだった。
全身の震えが止まらない・・・・素足の感覚も無くなりつつあった。
どうにもこうにも全身の震えがひどくなり、ジーパンを脱いだ素足が全体の体温を奪っているのか・・・「まずい」と思い、脱いだジーパンを手で水気を絞ってまたはいた。
靴がなかった。助手席に合った長くつをはいた。
「もう動けない」と救助を待つしかないと決めた。
体温を上げなければと周りのものを手探りで体を覆うものを探した・・・枕を見つけそれを抱いて震えながらじっとしていた。
疲労からか震えた状態でも眠気が襲ってきたうつろうつろしながらずいぶん時間がたったと感じたのは、ガラス越しに見える中古車センター内の車の水位の高さが低くなっているのが確認できた。
じっとしていたせいか、少しはふるえが少なくなって足がちょっとだけ動くようになっていた。
たぶん水深は腰ぐらいだろうと判断できたのだが、マンションまで歩いて行ける自信はなかった。
またすぐに枕に顔をうずめじっとして過ごした。

左方向から懐中電灯の明かりが飛び込んできた。多賀城消防署のいわゆるレスキュー隊であった。救助隊3名、2名は腰まで水につかり10名乗りのボートをひっぱりながら、懐中電灯で照らし掛け声をかけながらの捜索、もう一人はウェットスーツ姿で車のタイヤへうつぶせに載り水面をミズスマシとはいえないまでも軽快にスイスイ移動しながら捜索し、水中を腰までつかって歩くスピードとの違いの大きさに感心したのを覚えている。
車から抱えられボートに乗せられ、19名の安否をその救助隊員へ確認したところ、この30分前に救助したとのこと、残念ながら一番最初に押し上げた老婆が低体温症で亡くなった状態で運んだことを聞かされた。
その後30分ほど近郊の遭難者を拾い上げ、11名の遭難者を救助し45号線砂押川に架かる橋のたもとまで引っ張られ、ボートを降りた場所から救命テントまで隊員へおんぶされた状態で運ばれたときは確認の問いに答えられない状態の自分だったのを覚えている。

もうろうとした意識の中救急車、 病院で服を脱がされ、緊急患者としてラベルを付けられた私へは、看護師の迅速な処置がなされるのをうっすら覚えている。
上半身の衣類はハサミで切り裂かれ、薄い保温材に包み、左手から刺された注射針から自分の血液を抜き、循環器内を通過するときに温めた状態の血液を左手の注射針から戻す方法とやらで救命されたのを知ったのは、車いすに座ってストーブ前で暖まっているときに看護師に教えられたのでした。
坂病院へ搬送されたのが午前3時37分の丸い時計を覚えている、約12時間弱救助を待ったことになる・・・。
30分ほどで震えが止まったが下半身がおもい通りには動かない状態で、ストーブの前で「手でもみほぐしていてください」と看護師に車いすへ乗せられ石油ストーブ前で朝を待った・・・。
とにかく自宅が気になった・・・午前6時過ぎにストーブの前で自分で太ももや足首をもみほぐし、やっと立てる状態になったので、濡れたジーパンをはき、病院から借りたトレーナー1枚に自分の切られたジャンバーをガムテープで張り合わせてもらい6時10分、約15km離れた自宅へ向かって歩いて帰ったのである。
2時間ほどかかっただろうか・・・、自分の団地を一望できる高台へ着いたとき、その光景に絶句した。
自分が災難した場所の水の高さで、わが自宅が津波にのまれなかったのだろうか・・・、想像がつかなかったからである。
こんな私でも今回ほど家族が気がかりだったことはない・・・携帯電話を車へ置いてきた自分には連絡の付けようがなく、ましてやあの状況下では確認のしようがなかった。
病院のストーブ前の車いすにいても放心状態であり、朝方無性に帰りたい衝動になっての徒歩での帰宅決断だったのだろう。
引きずるような足取りと白いガムテープを継ぎはぎした後ろ姿に、追い抜いた車の運転手は必ず振り向きながら私を見ていった・・・。
後ろ姿のジャンバーの白いガムテープが異様に目立ったのだろう。
2時間の間、誰一人声をかける人はなかったのがこれが現実だな・・・とも思えた。

壮絶な光景を眺めた後、残り1kmの道のりを歩き、玄関の前でしばし立ちすくんで泣いた。
心底、「助かった・・・」と思った瞬間だった。



話のオチに、玄関を開けた妻の声は、「お父さん??、どこいってたの~」のの一言だった
自分的には抱き合いながらの劇的な帰宅になるはず・・・だったのだが・・・。ま~そんなもんだろ~~。



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テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~
ジャンル: その他

tag: 津波 生還 救助 犠牲 ブログ

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