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陸前高田 市民体育館で80人犠牲

 津波などの災害が発生した際に真っ先に逃げる1次避難所について、東日本大震災で岩手県沿岸部11市町村(宮古市を除く)の全411カ所のうち48カ所が、浸水被害を受けていたことが河北新報社の調べで分かった。陸前高田市では半数以上が浸水し、約80人の犠牲者を出したとされる避難所もある。防災計画における避難所指定の全面的な見直しが求められそうだ。

 陸前高田市職員の佐々木英治さん(38)は3月11日、地震発生直後に逃げ込んだ市民体育館の光景を鮮明に覚えている。海側の窓から水が一気に流れ込み、水位は高さ35メートルある体育館の天井まで約40センチに迫った。
 佐々木さんは天井のはりにつかまり、海水との隙間に顔を出して呼吸した。「もう駄目だ」。死を覚悟した時、幸運にも水が引いた。佐々木さんによると、体育館に避難していた約80人のうち、生き残ったのは3人だけだった。
 市民体育館は海岸から1キロ離れた市中心部に位置する。市防災計画で1次避難所に指定され、住民からは「体育館の2階に避難すればまず大丈夫」と言われていた。佐々木さんは「避難所にたどり着いた人まで命を落とすとは信じられない」とうつむく。
 死者・行方不明者2300人以上を数える陸前高田市では、1次避難所68カ所のうち半数以上の35カ所で浸水。市民体育館のほかに県立高田病院、高田小、気仙小などの避難所でも避難した人たちが多数亡くなった。
 同市の戸羽太市長は「浸水予想の地図を作るなど国、県とともに津波に備えていたが、想定をはるかに超える津波だった」と手の打ちようがなかったと明かす。
 岩手県沿岸部11市町村で陸前高田市のほかに1次避難所が浸水したのは大船渡市6カ所、釜石市4カ所、山田町2カ所、野田村1カ所で、計48カ所が浸水した。111カ所を抱える宮古市は調査をまだ終えておらず、被害施設数はさらに増えるとみられる。
 各自治体の防災計画は、過去の大津波や想定される宮城県沖地震による津波に備えて作られている。これを上回る津波だっただけに、担当者たちは大きな衝撃を受けている。大船渡市防災管理室は「今回の津波は今まで築き上げた防災対策をすべて壊した。すべてを作り替えなければ、亡くなった方が浮かばれない」と防災計画を抜本的に見直す構えだ。(盛岡総局)


2011年04月14日木曜日
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110414_25.htm



 岩手県陸前高田市の市民体育館は、災害時の避難場所に指定されていました。このため、3月11日に東日本大震災が発生した際には住民約100人が逃げ込みました。しかしその後、市民体育館は津波に襲われてしまい、生き残ったのはわずか3人でした。
 その生存者や住民たちの話からその当時の様子を再現すると、予想外の大津波になすすべもなく流されていった住民たちの姿が浮かんできます。

◇午後2時46分
 強い揺れが襲った時、市民体育館内では県立高田高校の女子テニス部員15人が練習中でした。主将の女子生徒は「ステージ側の壁がボロボロ砕けて落ち、天井の大きな照明がゆらゆら揺れて落ちそうだった。扉付近の部員がドアを開け、みんなで外へ飛び出した」と振り返ります。
 その直後に体育館に着いた顧問の先生は「体育館の中は停電して真っ暗で、フロアは砂ぼこりが舞い『安全じゃないな』と感じた」といい、生徒たちに高台のグラウンドへ向かうよう指示しまた。部員の女子生徒は「歩くというより2列になって走った感じ。余震のたびに立ち止まった。泣いている子が多かった」と語ります。部員たちは午後3時すぎにグラウンドに到着し、津波の難を逃れました。

◇海抜3メートル
テニス部員と入れ違えるように、市民体育館には住民たちが避難のために集まり始めました。目撃者によると、60代後半以上の高齢者が多く、車椅子の人もいたそうです。陸前高田市は市民体育館を避難所に指定しており、市の防災担当者は「市民体育館に避難し、津波の恐れがあれば高台に逃げる流れでした。ただ高齢者の場合、高台まで遠くて行けないのが実情だった」と言います。

 市民体育館に隣接する中央公民館の職員がラジオをつけると「予想される津波の高さは6メートル」と伝えていました。「6メートルなら体育館に来るころはもっと低くなると思った。チリ地震津波(1960年)の高さなら、市の想定では浸水は1階だけで済むはずだった」。市民体育館は海抜約3メートルの土地に建ち、地上から2階通路まで約6.4メートルありました。

 別の市職員は80才になる義母を市民体育館に避難させました。「チリ地震の時も津波は線路(JR大船渡線)までしか来なかったと聞いていたから『体育館2階に逃げれば大丈夫』というのが近隣住民の認識だった」というのです。

 一方、市民体育館近くの食堂経営者は車で高台へ逃げました。「避難所は体育館になっていたが、自宅と海抜が変わらないので逃げても仕方ないと普段から思っていた」と言います。

 徒歩で高台に向かっていた住民女性は、市民体育館の前で、60代ぐらいの女性が「避難所はこちらですよ!」と集まってきた住民らに叫ぶ姿を見ました。集まっていたのは50~60人。高台に歩いていた住民女性も声をかけられましたが「高台に行きます」と断ったそうです。市民体育館を通り過ぎて振り向くと、さっきまで後ろを歩いていたお年寄りたちがいなくなっていることに気づきました。「みんな市民体育館に行ったと思う。年配の人たちは、津波警報が出たら市民体育館に行くよう訓練(毎年5月実施)していた。私は昨年11月末まで福島にいて、訓練したことがなかった」と振り返ります。

◇殺到、そして津波
 中央公民館の職員は、市民体育館2階に続く外階段へ避難者を誘導しました。高齢者に手を貸し、車椅子の人は2人がかりで担ぎました。「最終的に100人ぐらいだったのではないか」と話します。

 陸前高田市によると、津波の第1波が堤防を越えたのが午後3時22分。海岸の松林が水に埋まり始めたのが午後3時24分。階段の下で誘導中だった公民館職員からも大きな津波が見えたそうです。2階に上がると、みんなが「ここも危ないんじゃない?」と騒ぎ始めました。「ドン」と音がして体育館1階に海水が浸入してくると「わー!」と叫び声がしました。

 そして、奥にある男子トイレへ避難していた人が殺到しました。その先は行き止りで、ぎゅうぎゅう詰めだったそうです。公民館職員は両足が「濡れた」と感じた瞬間、津波にのみこまれていました。海水を飲み「ああ、これで終わりだ」と思ったそうです。「よく言われますが、本当に自分の子供たちの顔が思い浮かびました」と続けます。

 公民館職員は水中で、同じようにもがく人たちの手足にぶつかりました。もがくうちに鉄骨のようなものをつかみ、思い切り頭を突き上げて水面に出ることができました。水かさは天井から約30センチの所まで上昇していましたが、水は少しずつ引いていきました。暗くて何も見えない中で「おとうさん、おとうさん」と女性の声がしました。離れた所にもう1人、男性が生き残っていました。津波にのまれてから10分ほどの出来事でした。

 天井から長い髪の毛が垂れ下がっているのが見えました。
 どこかでうめき声がして捜しましたが、間もなく途絶えました。
 1階は水没したままで、何度も津波が押し寄せました。
 生き残った3人はずぶ濡れのまま身を寄せ、一夜を明かしました。

◇想定外
 陸前高田市によると、51年前に市を襲ったチリ地震の津波さは5.5メートルで、これを基準に防潮堤を築いていました。しかし、震災後に現地調査した東京海洋大学教授(海岸工学)によると、市民体育館を襲った津波の高さは、壁の痕跡などから推定15.8メートルでした。

 4月11日に、陸前高田市長は言っています。
 「災害は想定しちゃいけない。常に最悪の事態を考えないと、大変なことになる。」

http://blog.canpan.info/greenheart/daily/201105/19




地震発生後、避難場所としてその体育館に多くの人々がやって来た。
だが、津波が体育館を襲い、多くの人が逃げまどい、
カーテン伝いに高い場所へ行く人、浮かんだマットにしがみつく人、
そして体育館の二階キャットウォーク部分へたどり着いた人などがいた。
だが、それもできずに津波に呑み込まれてしまう人もいた。
二階部分から懸命に手を伸ばしたり、ロープや幕を投げたりしたが、
体育館に入り込んできた津波は渦状となり、
まるで洗濯機のようにグルグルとした水流を作り出したのだという。
そして幾人かの人達がそこに呑まれてしまった。

松岡正剛さんの「千夜千冊」に、一編の詩が紹介されている。
『鎮魂詩四〇四人集』(コールサック社)という、
404人の人達が書いたレクイエムだ。
その中に、奥尻島の津波(1993年7月12日、18年前!)での出来事、
それが詩になっている。
作者は麻生直子さんという詩人だ。

    「手を離したひと」

     二度目の波が恐ろしいちからで退いていくとき
     おもわず妻の手を離してしまいました
     手を離さなければ 
     腕にからめて掴んでいた草の根もろとも
     ふたりとも引きずられてこれ以上耐えられないっと
     思うよりさきに自分は踏みとどまっていて
     妻の姿がずずずずーっと黒い波の闇のなかに
     声もあげずに ずずずずーっと
     あの夜の津波の出来事を
     問われるままに確かにそのようにいいましたが
     そのころはまだ妻はわたしの首のまわりや肩にとまって
     たましいのようなまろやかさで
     わたしの離しにうなずいていたのです
     (中略)
     あの夜 妻の手を離して津波に呑みこまれたのは
     ほんとうはわたしなんだ     

今回の津波でも、
手を伸ばし、助けようと頑張ったひとは大勢いたはずだ。
助けられようとしたひともいた。
今回の地震と津波によって引き裂かれたものがあり、
それによって今、人間の内側でいくつもの大きな苦悩が浮き沈みしている。
決して言葉にして語ることはないが、
消そうにも消せない光景が明滅しているだろう。

http://kazeyasiki.exblog.jp/12598623/

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テーマ: 東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~
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tag: 津波 避難所 ブログ 河北新報 犠牲

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