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地震の発生時、出張で宮城県気仙沼市本吉町のお得意様のお店に居りました。

東日本大震災体験記①~気仙沼市で被災(地震前~当日夜)

 まず、今回の震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方へのお見舞いを申し上げます。

 今回、私も地震の発生時、出張で宮城県気仙沼市本吉町のお得意様のお店に居りました。当日は朝、盛岡を出て、遠野~釜石~大船渡~気仙沼~南三陸~石巻泊りの予定でした。

出張は8日から12日で、秋田・横手~青森・八戸~岩手・盛岡~宮城・石巻に泊まる予定のルート。帰宅の翌日13日は母の一周忌を予定しており、前日岩手県二戸市の「南部美人」というお酒をその引き物にすべく購入。積載していた。

朝は道路の凍結を考慮して普段より少しゆっくり8時前に盛岡の定宿、ホテル小田島を出ました。遠野に着いたのは9時半、釜石が10時半過ぎ、大船渡に12時前。一軒目のお得意先を終え、大船渡の「おさかなセンター三陸」のレストランでお昼に「牡蠣鍋定食」を戴きました。(これが結構時間が掛かった。)

そして大船渡の別のお店にお邪魔したのが13時過ぎ。陸前高田市を通過、14時半過ぎに気仙沼市南部の本吉町大谷の「道の駅大谷海岸」でトイレ休憩。海産物直売所が気になったが、翌日帰宅だし、時間が遅くなるのもちょっと良くないな…と思い、そのまま本吉町のお得意さんへ向かいました。10分ほどで到着しました。

 事務所で会長(女性)さんと、前日の11日に在った地震の話をしていた時、揺れ始めました。少し様子を見ていたのですが揺れが大きくなり、お店の方に移動、商品を守る体制を取りました。かなり長い間、大きく横に揺れていました。今までに体験したことの無い激しい揺れでした。
まるで、遊園地の乗り物に乗っているかのような、地上に居るとは思えないほどの揺れでした。とても長く感じられました。

 ちょっと揺れが収まったときすぐにお店にお孫さん(5歳くらい)とお嫁さんが見えました。お孫さんは恐さに怯え、泣いておりました。すぐに社長さんと歩従業員の方も戻ってこられました。その間も時折余震が在りました。揺れが収まった後、表に出ました。商店街の方々が皆さん顔を出し、「大丈夫ですか?」とお互い、声を掛け合っていました。

 工場長から「無事か?」の電話があり、その時は状況がわからず、取り合えず「大丈夫です」と返事しました。(それ以降、電話は繋がらなくなりました。)

 お店の中の落ちたもの等を片付けるのを少しお手伝いしましたが、社長さんご家族も取り合えず寝たきりのお婆様と避難所に行かれるし、従業員の方もご自宅の方と連絡が取れないので、一時帰宅されるということでということなので、私も、その先の行けるところまで行こうとを走らせました。

 お店は海から一山超えて離れた商店街にあります。そこから更に丘を登り、国道45号線に合流。すぐ下り坂で風光明媚な海岸線を通ります。が下り坂に差し掛かったとき、地元の消防団と思われる方が「バカヤロー!死にたいのか!先に行くな!」と叫びました。慌ててを止めました。すると…少し先に第一波の津波に呑み込まれたトラックが数台浮かんでました。…思わず身が竦みました。

 慌てて引き返し、取り合えずガソリンが少なかったので補給しようと思い近くのスタンドに向かったのですが、既に閉店してロープが張られていました。その時「津波が来ます高いところに非難してください!」と防災無線での放送があり、踵を返し高台に戻りました。

 高台にはセブンイレブンが在り、丁度配送が来た所でした。店内では商品が散乱しておりましたが、それを片付けながら、雪の中、店前で2人の女性が新着の商品をバンジュウから販売してくれていました。勿論レジは使える訳もなく電卓ともう一人は携帯の電卓機能で計算してくれていました。
 お握りやお弁当は既になく、目に入った大盛りスパゲティ・グラタンと、たまたまひとつだけ残った3個入りミニお握りも掴み、あとはお茶一本。…もしかしたら、これで2日程過ごす事になるかな?と思案しつつ購入しました。(飲み物が少ないのは250mlの水筒にコーヒー半分、350ml水筒に紅茶がが丸々入っていたからです。)

 取り合えず、家族にその後の無事を知らせようとメールしました。まだ、携帯のアンテナが2本出ていたので幸い送信ができました。(16:42でした。これ以降、メールも繋がらなくなり、圏外になってしまいました。)
 
 いろいろ心が揺れ動きましたが「無駄に動き回ることは絶対に止めよう。」と思い、に戻り、ビバーグ(夜明かし)の支度をしました。ガソリン残量が15L程度と思われ、翌日の移動のことを考え安易にアイドリングする訳には行かず、できるだけ暖かい格好をすることにしました。幸い4泊分の着替え(新しいのは1泊分)を持っていたし、折りたたみクッションや立ち寄り温泉に寄る時用のタオルが入っていましたのでそれらを出しました。その時懐中電灯付きの手回しラジオが出てきて、これが幸いしました。

簡易トイレも出てきました。助手席のシートを倒し、ヘッドレストを外し後席に繋げました。(これでなんとなく寝られる体制になりました。)足が冷えやすいので、靴下を三重に履きました。

 ラジオで、公衆電話は繋がると聴き、セブンイレブンの脇に公衆電話があるのを思い出し、掛けてみましたが、「故障してます」のアナウンスだけでした。携帯も圏外のままだったので、いつか「圏外の待ち受けが電池の消費が多い」と聴いたことがあるので、電源を切りました。

 雪も少し止んで来たようですが、日が落ちて来て寒さが増してきました。のどの渇きを覚え、まだ少し暖かいコーヒーを少しずつ飲みました。相変わらず余震は続いて居ました。少しほっとしたと同時に尿意を覚えました。まだ、周囲は少し明るく、止めた脇には一段下がって民家も在ります。逆側はフェンスだったので、ちょっと戸惑いましたがそこで用を足しました。

いよいよ夜になりました。クッションを広げ包まりました。少し眠らなくては、体力が持たないと思い、横になるもとても寝る気にはなりません。手回しラジオを聴きました。感度が悪く、雑音にまみれながらもその被害の甚大さを感じました。ラジオも、手が疲れるのでそう長く聴けません。いつもお風呂の時に聴いているスピーカーのついたMP3プレーヤーを取り出し、時折聴きました。いつもながらのコクーン(http://www.yy-cocoon.com/)の曲にまた励まされました。「だいじょうぶだよ」や「チャンス」に感動。あけみちゃん(岡部明美さんhttp://anatase.net/index.htm)の「いのちの花」は、自然に涙が出てきました。

 それでも万が一のことを考え、上着の内ポケットに集金した公金と領収証・片方には名刺と免許証、そして左右のポケットには入れ歯と財布を入れ、取り合えず「誰だかわかる」様にしました。~この時点で「これでもし駄目ならそれもまた運命」と覚悟しました。そして、今まで私に関わって下さった方々…家族や仕事先、お付き合いさせて戴いてる全ての方々に「ありがとうございました。これまでお世話になりました。」とお礼を申し上げました。時間が気になり携帯を取り出して見ました。21時過ぎでした。

 一方、昨年末のともこさんのリーディングや今年初めのあけちゃんの個人セッションで「3年後・5年後・10年後」のイメージが在った事を思い出し、「ここで私の現世が終わる訳無い」と思い直しました。

 少しウトウト出来ました。しかし暖房をしていない内はどんどん温度が冷えておりました。残念ながら携帯懐炉は持参して居ませんでした。寒さと共に、またもや尿意が…どう考えても外はもっと寒い。しかも靴を履いてドアを開けるため、明かりを点けるのでバッテリーを消費する。携帯トイレ使うかな?と思いました。しかし何となく憚ったのでやはり外で用を足しました。…この時は雪は止んでいて星空が綺麗でした。…こんな時でも星は輝いている。大いなる存在は満遍なく全てに愛を与えていることを感じました。

 車に戻り、また寝る体制に入りました。頭にタオルを巻き、耳と顔を覆うとかなり暖かい気持ちになれました。しかし…そんなに時間が経たないうちにまたもや尿意…正直、面倒になりました。(せっかく少し温まったのに…)そこで、名案が!そうだ…「万が一の時に」と思っていた広口のコーヒーのアルミの空瓶が在るのを思い出しました。究極の選択だったと思います。そこに、用を足しました。確実に栓を閉め「自分自身から出たものだから、大丈夫」と思い込むようにして足に当てました。。…暖かい。確実に暖かい。これで、かなり助かりました。冷えてきたらその度毎に少しドアを開け中身のものを出し、入れ替えるだけで済んだ事でかなり保温に役立ったと思います。

 ウトウトしては寒さで目覚める~こんなことを何度か繰り返したら、ようやく空が白くなってきました。4時半頃でした。少しエンジンを回してみたら外気温は-5℃でした。
「取り逢えず今まで無事だったことを喜び「今日、どうするか」を考えました。路面も凍結しているだろうから、「まず8時過ぎまではここに居よう。その後避難所に行って情報収集をしよう。今日はどこまで行けるかな?」と考えました。

 朝日が昇ってきました。「お蔭様で今日も、命を戴いてあなたを拝むことが出来ました。ありがとうございます。」と、心から祈った。同じ朝日を、女房も家族も、会社の上司も、友人の皆さんも見ているかと思うとこれまた感激だった。「朝日を眼球に入れると、目に良いですよ。」の和みのヨーガ(http://www.nagominoyo-ga.com/index.php?FrontPage)創始者・ガンダーリ松本先生の声が聞こえてくるような気がした。軽く肩甲骨ほぐしやセルフワークをした。しばし朝の清清しさを味わった。(勿論そのときも時折余震が来ていたが、もう覚悟が決まっていたので、殆ど同様はなかった。(実は、緊張して居たのだと、思う。)

つづく



東日本大震災体験記②翌朝~帰宅編


日が経つのは早いもので、もう「あの日」から一週間となる。
今、(省エネで暖房は点けていないけれど)暖かい家の中、明かりの灯る部屋でパソコンを打っていられる「贅沢」を噛み締めながらこの日記を書いております。

既に6911人もの方が犠牲になられ、行方不明の方も1万人を超えていると聞いている。今はただ、なくなられた方のご冥福をひたすら祈り、行方不明の方の早期発見、そして・・・福島原発さんの怒りが少しずつでも静まり、平穏になってくれることを祈り、原発さんに向け「今までの感謝」を捧げております。

前編から続き)
朝方、車のガラスが凍り付いており、表だと思っていたら、何と、内側が凍っていたのだ。
自分の吐いた息や車内の水蒸気が凍り、ガラスに付いて居た様である。
http://www.youtube.com/watch?v=sbMosDVYApM

さて、8時も過ぎ、周囲も少しずつ動いてきた。消防車が何回か行き来した。
家族や会社に連絡もつけたいので、取敢えず連絡が出来る方法を探ろうと考えた。
運良く、巡査が通りかかったので、「出張で来た余所者なのですが、連絡が出来る所
ありませんか?」と聴いたら、「役場ならできるだろう」とのことで、場所を教えてもらい、
そちらに向った。

途中、ガソリンスタンドが在ったが、「給油不可」のポスターが張り出されていた。
役場は、既に「災害対策本部」となっており、自衛隊の方が、数名到着した所のようだった。
隣接した所に公衆電話が在ったが、やはり通話不能だった。
入り口で打ち合わせをされている方に、伺った。「それならば取敢えず避難所に行って下さい。
町の体育館ですから」との事だったので、そこに向った。

体育館の入り口に受付があり、事情を説明したら、
「此処に居て貰っても善いが、ガソリンがそれだけあるのなら、一ノ関までは行けるのでは?」と
教えてくれた。ナビを入れてみたら、およそ75kmだった。
これなら、大丈分かな?と想いハンドルを握った。

街中を抜けて、直ぐ山間の道に入った。途中雪が被っている処が在った。
「夜、動かなくて良かった」と感じた。
途中で、携帯の電波が通じたらしく、メールが入ったら・・・何と50通近くも!
全て安否を気遣ってくださる着信履歴(一通で4~5件も!)やミクシイのメッセだった。

一時間半ほどで一関市内に入った。停電しているらしく、信号が付いていない。
皆譲り合っての通行だった。~日本人の「譲り合い精神」が生きている・・・と感じた。
新幹線の高架をふと見たら、架線柱が内側にかなり倒れこんでいたので、
「復旧はかなり掛かるな・・・」と感じた。
一度だけ、女房と音声通話が出来た。そして、また電波が途切れた。

 さて、段々ガソリンも残り少なくなってきて、給油所を探しながら走った。
市内で、何台か車が止まっている所に寄せてみた。
しかし、「電気が来ていないので給油できない」との事だった。
仕方ないので、そのまま先に進む事にした。
仙台市内に入るところで、左折の行列が在った。何だろう?と思いつつ、通過。
その後、また左側車線の行列が…先頭はガソリンスタンドだった。
…これは、チョッと不味いな?と思いつつ、次の営業しているスタンドを探しつつ走った。
反対車線にも、長い列・・・やはり給油待ちの車の列だった。
いよいよ焦って来た。

 仙台市南部の名取近く、いつも入れているガソリンスタンドがあった。
なにやら発電機を回して作業中だった。そこで聴いてみた。
応対したスタンドの方は「申し訳ない、此処は医療・災害救援専用の給油所になったので、
一般の方には給油できない。」と言った。
更に電気が来ないから一般への再開の目処は立たないとの事。
では、「もう少し走ろう」と思いエンジンを掛けようとしたが掛からなかった。
~完全な「ガス欠」だった。
こんな状況なので、、もう一度スタンドに掛け合ってみた。
そしたら、別の方が「ダメダメ!」とけんもホロロに突っぱねてきた。
迷惑だから、早く退け・・・みたいな雰囲気だった。
本当に困っているのに・・・とても辛かった。

仕方なく、JAFを呼んだ。対応された方がとても親切だった。

「ただ、我々も、ガソリンを切らしちゃったんですよ・・・」とのこと。
「取敢えず、どこかに牽引してゆくか・・・」との話だった。
お先真っ暗になった。

一時間ほど待っただろうか、普通のJAFの車が来た。
少し熟年のいわゆる「職人」を感じさせる隊員の方だった。
何とかガソリンを搾り出して来てくれたようだ。
6L入った。しかし・・・エンジンは掛からない。
その方曰く、「エンジンへのパイプがタンクの底でなく、少し上にある」とのこと。
無線でなにやらやり取り。
「この近くの拠点から、あと5L借りられることになったから、行って来る」との事。
なんて親切な方なんだ!と感じた。

そして再度5L給油。しかしエンジンは回らない。
縁石に乗り上げていた為、車が斜めになっており、そのせいかもしれないと、
車を平地に移動、更に揺すって見たがダメだった。
ボンネットを開け、いろいろ点検してくださった処、
どうも燃料ポンプが故障してしまったようだった。
「これでは仕方がない。取敢えずJAF本部まで車を持っていって、
その後修理工場を探すしかないね・・。」
との事だった。
カーキャリアに乗り換えて来るから、待っていて・・・との事。

翌日の母の法事への出席はこの時点で半ば諦めた。
取敢えず今夜の帰宅は無理と悟り、
いつも泊まっている仙台のホテルに電話してみたら
停電の為、宿泊は受け入れていないとの事。

困り果てていたが、まぁ、昨日は車内で野宿したのだし・・・
何とかなるだろう・・・と、タカを括った。
[持って帰るものと防寒用のタオル類・車に置いてゆく物]に分類した。

隊員の方がカーキャリアで来た。
取敢えずその助手席に乗せて戴き、JAFの本部へ。
そして、その道で隊員さんに私の事情を話した。
車が会社のリースである事。
明日母の一周忌があること。
それに使う、お酒を積んでいること。
隊員さんはご自分でも自動車修理会社をお持ちになっており、
JAFとは契約で隊員さんが足りない時に出動されているとの事。
隊員の方は親身に心配してくれて、途中のレンタカー屋さんも見てくれたが、全て閉店していた。

本部に着き、リース会社の契約工場リストを見たら・・・
「ウチも入って居るわ!最初から、見て置けば良かった…!」
「ウチで良いかい?」即答で首を縦に振った。
「それなら、代車貸せるよ。」もう、飛び上がって喜びそうだった。
これなら、明日の昼には何とか東京に着ける可能性がある。と考えた。

そして、そのまま社長さんの会社「㈱東洋自動車」さんへ。
会社に着き、代車を出してくださった。
ガソリンも、「半分くらい入っているから、どこかで一度少し入れれば
東京へ帰れると思うよ。」とのこと。
更に「名取近くの4号バイパスは渋滞で込み合っているから
この道で行ったら善いよ」と、何処までも親切。
社長さんは「次の仕事に行くから、気をつけて!」の一言を残し、
カーキャリアで去って行った。

翌日母の一周忌で使う、お酒など、全ての荷物を積み替え、
自宅に向けて出発した。夕方5時前だった。

仙台市内も縁石が盛り上がっていたり、ガードレールが曲がっていたり、した処が所々在った。
教えて頂いた道を進むと…かなり南のほうの国道に出た。
途中、「富山」ナンバーの消防車を見た。~もう、救援に来ているんだなぁ・・・と感じ、
きっとこの方々も寝ないでこちらに向ったのだろうな・・・と考えた。

勿論高速道路は全面閉鎖。東京まで国道を走ってゆかねばならない。
途中、福島では法面崩壊の為通行止めとの事だったが、「何とかなるだろう」と、安易に考えた。

7時過ぎだったろうか・・・やがて福島市内に入ってきた。
疲れを感じてきたので今夜は諦めて、泊まろうかと考えた。
何度か泊まった事のある福島駅近くのビジネスの方に車を走らせたら、数台の車列。
その先にはガソリンスタンドが在った。「取敢えず入れておこう」と考え、車列に並んだ。
15分ほど並び、後数台となったとき、係の方が回ってきた「今、災害対応でお一人様¥1000となっております。」との事。それでも、「入れないよりマシ」と考え、給油。

これは、『帰って来い』という母からのメッセージかと思い、歩みを進めた。
少しだけれど、ガソリンメーターが仙台を乗り出した時とほぼ同じ位に戻った。
此処からは白河まで慣れた道。只、途中「伏拝」が通行止めと聴く。
それならば、いつもお得意さんの在る飯野町の方に向かい、二本松に抜ける道を知っている。
幸いだ。少し山道を走り、二本松へ。道の駅があったので家と知人に電話した。
只、まだ余り繫がらない処が多かった。

所々に段差が出来ていたり、ガソリンスタンドの列ができていたり・・・いろいろあった。
普段は昼間から夕方に走る国道も、停電で真っ暗なのでまるで様子が違った。

白河まで来た。10時過ぎだった。また、スタンドの列が在ったので並んだ。
そんな長い列ではなかった。10分ほどで順番が来た。今回は\2000給油できるとの事。
嬉しかった。
そして、日付が越える頃宇都宮に。コンビニが開いていたので、お茶とお菓子を購入。
>>明美さんに電話してみた。通じた。「とても心配していたのよ!」と仰った。
「テレビで見た?あの、津波…凄かったのよ・・・」との事だった。

更に歩みを進めた。都内に入ったのが午前1時過ぎ。帰宅できたのは2時過ぎだった。

このときは流石に女房が涙ながらに「お父さ~ん」と抱きついてきた。
(結婚して初めてでないかな?こんなこと・・(^^ゞ)

帰宅後、テレビを見た・・・それは、まるで地獄絵図。もし、この映像を見ていたら、
おそらく恐怖心で車を運転して帰って来るなどと言うことは出来なかったと思う。

今はただ、お袋と家族や友人の皆さんの「無事で居て」の祈りの力が、
私の行動・所作を守ってくれたてのだと考えている。

皆様に感謝を籠めて・・・[m:47]



http://mayutei.cocolog-nifty.com/jinann/2011/03/post-a980.html
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